2026.8.23 聖霊降臨後第13主日礼拝 説教要約
イザヤ書 22章19~23節
ローマの信徒への手紙 11章33~36節
マタイによる福音書 16章13~20節
本日は、「マタイによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。
イエス・キリストは、弟子たちとともにそのご生涯において様々なところに旅をしておられました。本日のところはフィリポ・カイサリア地方に行ったときとあります。この地方に行ったときに、主イエスが弟子たちにお尋ねになりました。「人々は、人の子のことを、何者だと言っているか」・・・弟子たちは・・・「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリア』だと言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』という人もいます。」と答えました。人の子つまり、イエス・キリストのことを、世間の人たちはどのように呼んでいるのかとお尋ねになったのです。それを受けて、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」世間の人たちはそういうわたし、すなわち主イエスのことを、預言者の一人だろうと言っているけれども、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という質問をなさったのです。その弟子のうちの一人のペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたとあります。ここに出てくる「メシア」というのは「救い主」という意味です。 弟子のペトロが、「あなたはメシア、救い主、生ける神の子です。」と主イエスの前で宣言したのです。教会では古来よりこのところを「信仰の告白」という言い方をしています。「あなたこそ、救い主です」という告白こそが、神を、そしてイエス・キリストを信じる教会に連なる一人一人が、言い表すべきことです。わたしたちが神様を信じるというときに、わたしたちがイエスというお方を、救い主として信じるというときに、ただわたしたちの心の中だけでイエスというお方が救い主だと、神の子であられるということを言い表す、自分で思うということだけでは足りないということなのです。人々の前でイエスというお方こそ、救い主であられるし、神の子であられるということをしっかりと言い表さなければならないのです。 主イエスは18節で「あなたはペトロ、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」とおっしゃいました。ペトロというのは、ギリシャ語で「岩」という意味もあるのです。この「岩」というのは、昔から教会では、「信仰の告白」のことだと解釈されてきました。「あなたこそ、救い主であられる」という信仰の告白の上に、神様が教会を建ててくださっている。逆に言えば、「あなたこそ、救い主であられる」という信仰の告白がなければ、教会が建つことはできないということなのです。 使徒パウロは、自分の手紙の中で「教会はキリストの体である」と書いています。キリストを信じるということは、教会を信じるということでもあるのです。だとすれば、神を信じる、イエス・キリストを信じるということは、教会と切り離してその信仰が成り立つことはないことを意味しています。イエス・キリストを信じて生きる、あなたこそ救い主であられるという信仰の告白をしていく、その上に、教会が建てられている。そしてわたしたちがその教会において、洗礼を受けて、聖餐にあずかり、キリスト者として生きる、礼拝をお献げする、それらのことが「主を信じて生きる」ということを意味するのです。また、キリストを信じるということはキリストの体である教会に連なって生きるということなのです。 19節に「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」とあります。ペトロに対して「天の国の鍵を授ける」と主イエスはおっしゃる。そのペトロは教会を代表していると考えられるのです。わたしたちがこのようにして集っているこの教会に対しても、イエス・キリストが天の国の鍵を授けてくださっています。「地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」とありますが、わたしたちに天の国、つまり神の国に入れる鍵が与えられているということなのです。わたしたちが、イエスというお方を救い主として信じるという、その信仰の告白をするときに、神の国に通じる門の扉がわたしたちに向かって開かれるのです。逆に言えば、わたしたちが「あなたこそ救い主です」という信仰の告白に至らなければ、神の国に至る門は閉ざされていると言ってもよいでしょう。 わたしたちはいつもイエス・キリストに「あなたはわたしは何者だと言うのか」と問われているのです。「なんだかんだ言っても困ったときに頼りになるのはお金や財産だ、自分自身だ」というような偶像崇拝に走ってしまいがちな弱いわたしたちにとって、この質問は厳しいものがあります。わたしたちが困難な状況に陥ったときに、目に見えない神様よりも、目に見えるお金や財産などに頼ろうとしてしまう、そのようなわたしたちに、イエス・キリストはいつも「あなたはわたしを何者だというのか」と質問しておられるのです。そのときにわたしたちがはっきりと、「あなたこそをメシア、救い主です」と答えることができるのかどうかということが問題なのです。わたしたちが、天の国に至る鍵を授けられ、天の国、神の国につながる門から入れるように、わたしたちがしっかりと「信仰の告白」ができるように、その支えと導きをいつも神様に祈り求めてまいりましょう。 閉じる