2026.7.5 聖霊降臨後第6主日 教会創立記念・召天者記念礼拝 説教要約
ホセア書 13章9~14節
コリントの信徒への手紙一 15章50~58節
本日は、新約聖書「コリントの信徒への手紙一」を中心に、み言葉に聴いてまいりましょう。
本日の聖書の箇所を含む15章でパウロが語っているのは、イエス・キリストを信じる信仰者たちが、この世の終わりの日、主イエス・キリストが再びこの世に来られるとされるときに、わたしたちもまた復活して、新しい体、霊の体を与えられるという信仰における究極的な希望についてです。その希望の根拠、保証というのは、わたしたちの救い主であられるイエス・キリストの復活です。また、わたしたちに約束されている終わりの日の復活というのは、どういうものかということが、15章で語られています。その復活というのは、わたしたちの自然のいのちの体が、もう一度息を吹き返すということではありません。神様が聖霊によって生きる新しい体、霊の体を与えてくださるのです。それは復活されたキリストの体と同じものです。そのことをパウロはこの手紙で語っています。わたしたちの復活について語っている15章の締めくくりが、本日のところです。50節で彼はこう語っています。「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」ここにある肉と血、朽ちるもの、それがわたしたちの今のこの体です。神の国とは、神様の恵みのご支配ということです。それが朽ちないものと言い換えられています。それを受け継ぐというのは、神様の恵みのご支配のもとにおいて、朽ちることのない命を生きるものとなる。すなわち、救いの完成にあずかることです。肉と血、朽ちるものは、神の国、朽ちないものを受け継ぐことができない。つまりわたしたちは、今のこの体のままで、この人生において、救いの完成を得ることはできないのです。 そのことを語った上で、パウロは51節で、「わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。」と述べます。「今とは異なる状態に変えられる」つまり、肉と血、朽ちるものであり、それゆえに神の国を受け継ぐことができないわたしたちが、霊の体へ、朽ちないものへと変えられるのです。そして、神の国を受け継ぐ。つまり、救いの完成にあずかるのです。それではそのことはいつどのようにして起こるのでしょうか。52節に「最後のラップが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」とあります。これが終わりの日の死者の復活です。この世の終わりにキリストがもう一度来られるそのときに、わたしたちは復活し、朽ちないもの、神の国を受け継ぐもの、救いの完成にあずかれるものへと変えられるのです。 この復活という神秘、信仰によってのみわかる神様の恵みのご意志に目を開かれるならば、わたしたちは、大いなる希望に支えられて生きることができます。その希望について53節では、「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。」と言い表されています。わたしたちの今のこの体、この世の人生は朽ちるべきもの死ぬべきものです。仮に、何十年かの人生を、充実した幸せなものとして生きたとしても、あるいは全く不遇のうちに、苦しみつつ生きたとしても、最後に待っているのは死です。しかし、復活における神の恵みのご意志を知るならば、わたしたちはこの地上における何十年かの人生が、わたしたちの歩みの全てではないこと、肉体の死を超えた彼方に、神様の恵みによって生かされる新しい朽ちることのない、死ぬことのない命と体が与えられることを示されるのです。わたしたちの地上の人生は、この朽ちることのない、死ぬことのない新しい歩みに向けての備えのときとなるのです。 復活の希望に生きる者は、死に対する勝利を与えられているのです。神様は、死の力にすでに勝利して、それをご自分の支配下に置いておられるのです。同じようにわたしたちを支配する死の力にも勝利して、新しい命と体を与えてくださるのです。この信仰に生きるところでは、死はもはやわたしたちを支配する不気味な力ではありません。人生は死から与えられた執行猶予期間などではなくて、神様が命を与え、生かしてくださっている恵みの期間なのです。復活の希望に生きる者の人生は、死に対する神の恵みの勝利のもとにあるのです。わたしたちの救い主であられるイエス・キリストは、わたしたちの罪を全て背負って、十字架にかかって死んでくださいました。神の独り子であられるお方が、わたしたちと神様との関係を損ない、隔てている罪をご自分の身に引き受けて死んでくださったのです。この主イエスの十字架の死によって、神様はわたしたちの罪を赦してくださいました。わたしたちとの良い関係を結び直してくださったのです。主イエスの十字架によるこの罪の赦しを信じる者にとっては、神様はもはやわたしたちと疎遠な怒りと裁きの神などではなく、近く親しい愛に満ちたお方なのです。主イエス・キリストの十字架によって、死の根本的なトゲはすでに抜き去られているのです。 57節に、「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」とあるのは、終わりの日の勝利を見つめて語られているのです。聖書では、終わりの日、すなわちこの世の全てのものが終わりを告げ、新しい天と、新しい地が作られるときが来るとされています。そのときに、イエス・キリストが再びこの世に来られ、神の救いが完成されるのです。そのときに、わたしたちの先に召された人たちが、復活の命を与えられます。わたしたちもまたその人たちとともに復活の命を与えられるのです。わたしたちはそのことをしっかりと心に留め、この地に教会が建てられて以来、先に召された人たち、信仰の先達たちをしのび、その方々がわたしたちに残していってくれたものを大切にして、この地で福音宣教と伝道の業にしっかりと励んでいくことができるように、祈り求めてまいりましょう。 閉じる