2026.5.31  三位一体の主日礼拝 説教要約
出エジプト記 34章4~9節
コリントの信徒への手紙二 13章11~13節
ヨハネによる福音書 3章16~21節
                          

「御子を信じる」

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」「ヨハネによる福音書」の3章16節のこのみ言葉は、多くの人々に愛唱されてきました。この一節に、聖書全体のメッセージが要約されているということができます。宗教改革者マルチン・ルターは、この節を「小福音書」と呼びました。まさにキリストの福音、キリストによる救いの知らせがこの一節に凝縮されているのです。ここには、教会が宣べ伝えている主イエス・キリストの福音の根本的内容が語られているのです。教会が宣べ伝えている福音、つまり良い知らせ、救いの知らせの根本とは、神が世を愛してくださっているということです。世という言葉は、「ヨハネによる福音書」に特徴的な言葉です。それはこの世界と、そこに生きているわたしたち人間全体を意味しています。その世という言葉が最初に語られたのは、1章9節~10節です。このようにありました。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。」ここに「世は言によって成った。」とあります。初めからあった言、神である言によって世は造られたのです。その言がまことの光として世に来られました。それが主イエス・キリストです。主イエスは、すべての人を照らすまことの光として世に来られたのです。しかし、世はその言、まことの光である主イエスを認めなかった。言によってなったのに、造り主である言を認めようとしない、受け入れようとしない、それが「ヨハネによる福音書」における世です。つまり世は、神によって造られたのに、神を認めず、信じようとせず、従おうとしないのです。神に逆らっているのです。主イエスが、まことの光として世に来られたというのも、神に背き逆らっている世が暗闇であることを前提としています。罪によって闇となってしまっている世に、まことの光であられる主イエスが来てくださったのです。しかし世は、その光を光として認めようとしないのです。このように「ヨハネによる福音書」は、世が、つまりこの世界とすべての人間が、神に逆らう罪の中にあり、暗闇に覆われてしまっていることを見つめているのです。その罪人であるわたしたちを、暗闇に閉ざされてしまっているこの世を神はそれにもかかわらず、愛してくださいました。愛される資格などないわたしたちを、神様は愛してくださったのです。しかもその愛は、通り一遍のものではありませんでした。その独り子をお与えになったほどに、神様は世を愛してくださったのです。与えてくださったというのは、独り子なる神、イエス・キリストがこの世に人間となって生まれ、生きてくださったということだけではありません。主イエスは、わたしたちの罪をすべて背負って十字架にかかって死んでくださったのです。神の独り子が、罪人であるわたしたちの身代わりとなって死刑になってくださったのです。そのことによって、父である神はわたしたちの罪を赦してくださり、わたしたちをもう一度神のもとで生きるものとしてくださり、失われた祝福を回復してくださったのです。神様に背いて罪に陥ったわたしたちを、独り子の命を犠牲にして赦し、祝福のもとに回復してくださった。神様はそのようにわたしたちを愛してくださったのです。

 神がその独り子を与えてくださったことには、わたしたちの罪を背負って十字架にかかって死んでくださった、主イエスを神が復活させ、永遠の命を生きる者としてくださったことも含まれています。そのことによって、神様は肉体の死を乗り越えて、復活と永遠の命を与えるという救いを実現してくださったのです。復活したイエス・キリストは、わたしたちの復活と永遠の命の先駆けであり、わたしたちにもその救いが与えられるとの保証となってくださったのです。神様はその独り子を与えてくださることによって、罪に陥っているわたしたちを赦し、罪の支配から解放してくださっただけではなく、わたしたちを支配している死の力に勝利して、復活と永遠の命の約束をも与えてくださったのです。神様は、それほどまでにわたしたちを愛してくださっている。愛されるに値しない罪人であるこのわたしたちに、このようなとてつもない愛を注いでくださっている。それがキリストによる救いの福音の根本なのです。

 わたしたちがこの救いにあずかるためになすべきことは、この神様の独り子をお与えくださったという愛を信じて受け入れ、神様の独り子イエス・キリストを救い主として信じることだけです。御子を信じる。そのことによって、そのことのみによって、神様がわたしたちを愛して与えてくださった救いにあずかることができるのです。

 元々わたしたちは、罪による滅びへの道を歩んでいたのです。その道しか知らなかったのです。しかし、わたしたちに神様が驚くべき愛によって、独り子を与えてくださいました。その神の愛によって、わたしたちの前に御子を信じて、救いに至る新しい道が開かれたのです。17節に「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためです。」とあります。わたしたちを愛し、わたしたちが一人も滅びることなく救われて、永遠の命を得ることを願って、神様は御子をつかわしてくださいました。つまり神様は、わたしたちのすべての者を御子による救いに招いてくださっているのです。この招きに応えて、御子を信じる者となるなら、それだけでわたしたちは永遠の命に至る救いにあずかることができます。立派な良い行いをするとか、愛に満ちた人間になるというような、わたしたちの側の資格や条件は、この救いには全く必要がありません。神様はわたしたちへの心からの愛によって、独り子イエス・キリストを与えてくださり、その十字架の死と復活による救いをすでに実現してくださっているのです。この神の愛を受け入れて、御子を信じる者となって生きることによって、滅びに至る道を歩んでいたわたしたちが、永遠の命に至る道を歩む者へと新しくされるのです。

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