2026.4.26  復活節第4主日礼拝 説教要約
エレミヤ書 23章1~4節
ペトロの手紙一 2章20b~25節
ヨハネによる福音書 10章1~10節
                          

「羊飼いと盗人」

 本日は、「ヨハネによる福音書」を中心に言葉に聴いてまいりましょう。

 きょうのところでは羊が出てきます。羊というのは、とても弱い動物です。群れから離れて、一匹では生きていくことができません。群れからはぐれてしまうと、自分で牧草などの草を食べに行くことができません。またはぐれてしまうと、狼などの野獣に襲われる危険性があります。そのため羊飼いによって群れをつくって、水飲み場や牧草が生えているところに導かれることが必要です。羊飼いによって狼などの野獣の攻撃から身を守ってもらわねばららない弱い動物です。しばしば、この弱い羊によってわたしたち人間のことが例えられています。そういうことが聖書では、各所で書かれています。一方、羊飼いはイエス・キリストであり、神様であると例えられています。

 3節に、羊は羊飼いの声を聞き分けるとありますが、なぜ羊が羊飼いの呼び声を聞き分けるのでしょうか。それは基本的には羊と羊飼いとの間に深い信頼関係があるからということなのでしょう。羊飼いは、夜も昼も羊とともに生活を共にしています。寒い冬の夜も一緒に行動を共にする。羊飼いという仕事は、とても厳しい仕事です。狼などの野獣の襲撃を防がなければならないということもあり、冬の夜も野宿をして羊と生活をともにします。羊飼いは命がけで羊を守らなければなりません。時にはそのために羊飼いは自分の命が失われるということもあったそうです。羊飼いは命がけの仕事なのです。羊は、その羊飼いの注ぐ愛情に応えて、羊飼いの声を聴き分けます。羊飼いが羊の名前を呼んだときに、その羊飼いの後についていきます。たとえ他の人から呼ばれても、決してついていくことはありません。今日のところで「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。」とあります。羊飼いがちゃんとその囲いの門を入ってくるのに対して、強盗や盗人はそういう門があるのにもかかわらず、柵を乗り越えて入ってくる。そういう盗人や強盗の声が羊たちの耳に入るのですけれども、ついて行くことはないのです。

   それでは、その話をイエス・キリストはどういう人たちに向かってしたのでしょうか。それは6節を読むとわかります。6節には「イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。」とあります。この話は、本日の聖書の前のところと繋がっているのです。主イエスがファリサイ派の人たちと話をしていたその延長で、今日の聖書の箇所が出てきます。「彼らはその話が何のことかわからなかった。」とあるその話とは何を意味しているのでしょうか。前のところの9章は、生まれつきの盲人の人を癒すという話でした。生まれつき盲人であった人に、イエス・キリストが、唾で土をこねてその人の目にお塗りになったところ、目が見えるようになりました。ファリサイ派の人たちはそのことに対して、なぜ、あなたは見えるようになったのかということを、しつこく問いただしたのですが、その目を開けていただいた人は、よくわからないと答えるのです。しかし最終的には、その目を開けてくださった方、そのお方こそ救い主である、その方を救い主として信じますと信仰の告白をいたしました。そのことが、このファリサイ派の人たちには、全然見えていなかったのです。目の見えない人を救いに導くのが宗教指導者であるファリサイ派の人たちの役目であったのにもかかわらず、ファリサイ派の人たちはこの目の見えなかった人を追い出すということをいたしました。まさにこのファリサイ派の人たちは、弱い羊であるこの目を開けていただいた人に対して、羊を追い散らすような盗人や強盗のようなことをしたということを、主イエスはたとえで話をされたのですが、そのことの意味をこのファリサイ派の人たちわからなかったということなのです。

 3節に「羊はその声を聞き分ける」とあります。羊は、羊飼いに対して深い信頼を持っておりますので、その羊飼いの呼ぶ声に聞き従う、ついて行く。門から入らないで柵から入ってくる強盗や盗人の声を聞くことなく、救い主であられるイエス・キリストのみ言葉にしっかりとついていくようにという主イエス・キリストのわたしたちに対するご命令がなされているということなのです。羊であるわたしたちに対して、イエス・キリストはそのようにしてわたしたちに命じておられます。わたしたちの日常生活においては様々な声がわたしたちの周りに満ち溢れています。わたしたちはイエス・キリストのみ言葉、神のみ言葉に従って、自分たちの人生の道を歩んでいこうとしている信仰者の群れです。しかし、わたしたちは弱い者たちですので、時折、真の救い主であられる、真の牧者であられるイエス・キリストのみ言葉に聴こうとしないで、違う声に耳を傾けようとしてしまいます。わたしたちは、わたしたちを惑わすサタンの誘惑の声に耳を傾けてしまうのです。サタンの誘惑の声はわたしたちには甘いささやきの声の場合が多いのです。思わず知らずその声に惑わされてしまうのです。しかし、わたしたちの救いのために命を捨ててくださった羊飼いであられるお方、命がけで羊を守ってくれる羊飼いのように、わたしたちのために命を捨ててくださった、そのお方の声にしっかりと耳を傾けていくことができるように、わたしたちはいつも祈っていかなければなりません。わたしたちを惑わす様々な声ではなく、わたしたちを救いに至らせてくださるまことの羊飼いのみ声をしっかりと聴き分けて、それを力として、わたしたちはその羊飼いについていくのです。み言葉にしっかりと聴けば、わたしたちはサタンの誘惑に負けることなく、救いに至る門を通っていくことができるのです。わたしたちは人生において、真の大牧者であられる主イエス・キリストのみ言葉にしっかりと聴いて、わたしたちが、命を豊かに受ける道、救いの道をしっかりと歩むことができるように祈り求めてまいりましょう。

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