2025.1.12 降誕節第4主日礼拝
イザヤ書 40章1~10節
テトスへの手紙 2章11節~3章7節
ルカによる福音書 3章15~22節
                          

「聖霊によるバプテスマ」

 本日は、「ルカによる福音書」を中心に、み言葉に聴いてまいりましょう。

 ヨハネは、ヨルダン川沿いの地方一帯で「悔い改めの洗礼」を授けていました。「悔い改め」というのは、神様の方に心を向け直しなさいということです。悔い改めというのは、自分がこれまで、しでかしてきた様々な何か失敗とか、過ちを後悔するといういう意味もあるのですが、もっと本質的には神様に背き逆らっている、神様に背を向けているあなたの心を、神様に向け直せということです。さらに彼は悔い改めのしるしとしての洗礼をあなたたちに授けるということを言っておりました。しかし、今日のところでヨハネは、わたしの後に来る方は、わたしが授ける水の洗礼、悔い改めの洗礼ではなくて、「聖霊と火であなたたちに洗礼を授けになる」のだと述べているのです。ここで「聖霊と火で洗礼を授ける」とはどういうことなのでしょうか。「火」というのは聖書では、「裁きの火」という厳しいイメージがあったのですが(17節)、16節の場合は、この火は金属を精錬して強くする、金属から不純物を取り除くというときに用いる火です。そういう不純物を取り除く、精錬する、鍛錬するという意味がここに込められていると考えられます。信仰者を鍛える火ということです。子供に対して親は愛するがゆえに、子供を厳しく鍛えます。神様もわたしたちを愛するがゆえに、様々な試練を与えられる。神の子として、わたしたちは火で練り清められる。鍛錬を受ける。そういう意味で、ここで「火」という言葉が使われているのです。また、「聖霊と火」ということですから、聖霊がわたしたちと共にいてくださって、終わりの日まで守ってくださるのです。父なる神様の鍛錬をわたしたちは受けるのですが、しかし、聖霊がわたしたちとともにいてくださって、その厳しい鍛錬に耐えられるようにしてくださるのです。それでは、その鍛錬とは何かというと、わたしたちが日々生きていく中で起こる様々な苦難、悩み、困難のことです。それらはわたしたちが終わりの日に、神様の前にしっかりと立つことができるように、わたしたちを鍛えてくださる訓練ということなのです。しかしその訓練によってわたしたちが潰れてしまうことがないように聖霊の力が注がれるのです。そのようなことが約束されているというしるしとして、イエス・キリストが「聖霊と火で洗礼を授けて」くださるのです。そのことにあなたたちは大きな希望を持って歩みなさい、とヨハネはここで群衆を励ましているのです。  本日の聖書箇所の21~22節に、「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」とあります。イエス・キリストもまたここで洗礼を受けられたということは、どういうことなのでしょうか。先ほど、ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼であるということを申しました。主イエスがヨハネによって洗礼を受けた、ということであるとすれば、神様に背き逆らっているわたしたちが、神様の方に向き直るしるしとしての洗礼を罪のないお方であるイエス・キリストが、その洗礼を受けられるというのはどういうことなのでしょうか。罪のないお方がなぜ洗礼を受ける必要があるのでしょうか。イエス・キリストがこの世に来られたのは、わたしたちの罪が赦されるためでした。主イエスはわたしたちの身代わりになって、わたしたちの罪を背負って十字架にかけられました。そうであるならば、イエス・キリストが罪を背負って、洗礼を受けられるということになります。主はわたしたちとは全く異なる遠い高い天にいらっしゃるのではなくて、罪あるわたしたちのところにまで降りて来てくださり、わたしたちの罪を背負ってくださって、十字架にかけられて、わたしたちの罪が赦されたのです。主は、わたしたちのところに降って来てくださったお方であり、わたしたちの救いのためにあえて罪深い群衆とともに、洗礼を受けられるということが起こったのです。その群衆とともに洗礼を受けられたときに、主イエスは祈っておられました。その祈りが応えられて、「天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が天から聞こえた。」ということ起こったのです。

 主イエスの祈りに応えて天の父なる神様が聖霊を与えてくださって、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と、わざわざ声をかけてくださったのです。これからのちイエス・キリストが神様の教えを宣べ伝え、様々な奇跡を起こされ、最終的に十字架にかけられて処刑されてしまいます。それが主イエスがなさる公の活動です。主イエスがその公の活動を開始なさるにあたって、神様が「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉をかけてくださったのです。神様がそのような大きな励ましを与えてくださり、イエス・キリストは神様の深い愛をいただいて、神の子として愛されているという自覚と信頼もって、これからの困難な活動を開始なさろうとしたのです。

 わたしたちは、洗礼を授けられ、神の民として歩んでおりますが、わたしたちは日々様々な困難な試練を受け、苦しみの中に置かれます。それはしかし、わたしたちが神の子として、終わりの日に、主イエスの前に立つための訓練としてわたしたちに与えられていることなのです。しかし、わたしたちに与えられているのはそのような試練、鍛錬だけではなくて、神様はそれらに耐えられるように聖霊の力を注いでくださいます。わたしたちも小さなイエス・キリストのようになって、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神様の御声を聞きながら、悩みの多い人生でありますけれども、終わりの日まで、終わりの日の希望を、わたしたちは心に抱いて、神様との祈りの交わりを取り戻しながら、聖霊の助けをいただきながら希望を持って歩んでいけるように祈り求めてまいりましょう。

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