2024.5.12 復活節第7主日礼拝
詩編 第103篇1~22節
ヨハネの手紙一 第4章11~16節
ヨハネによる福音書 第17章6~19節
                          

「主イエスの祈り」

 本日は、「ヨハネによる福音書」を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。

 本日皆さんと聴いてまいります聖書の箇所ですが、イエス・キリストが天の父なる神様に祈りをなさっているところです。主イエス・キリストが、なぜここでお祈りをされているのでしょうか。これまで13章から17章までですが、イエス・キリストは長い説教を弟子たちに向かってなさっております。これは「告別説教」と呼ばれているところです。なぜ「告別説教」と呼ばれているのか。それはこの後でイエス・キリストは祭司長や律法学者たちに捕らえられまして、裁判にかけられて、十字架という最も残酷な刑罰を受けられて、大きな苦しみのうちに死なれます。主イエスがこの地上からいなくなる。弟子たちの前からいなくなる。その前に弟子たちに向けて、大切なことを語られています。長い説教をなさっている。その最後にイエス・キリストが神様に祈りを献げておられるのです。

 祈りに関するいろいろな本を読んでみますと、神様がわたしたちの祈りを喜んでいてくださるということが書いてあります。わたしたちが祈ることを、神様が望んでおられる、喜んでおられるのです。神様はわたしたちが祈りを献げるということを何よりも喜んでくださる。神様のイエス・キリストがわたしたちに教えてくださった大切な戒めとして、お互い愛し合いなさい、そして神様を愛しなさいという戒めがありますが、神様を愛するということは、神様に祈りを献げること、熱い祈りを献げるということにこそ現れていると言ってもいいと思います。

 主イエスが天の父なる神様にお献げしているのはどんな祈りなのでしょうか。それは弟子たちのための祈りですが、これからイエス・キリストが十字架の上で処刑される前に当たって、この残された弟子たちのために神様に祈っていてくださる、「とりなしの祈り」ということです。それが今日皆さんと読んでまいります17章の中心のテーマになります。

 この17章は三つの祈りに分けられます。今日皆さんと呼んでまいりますところは、その二番目の箇所になります。残された弟子たちのためにイエス・キリストが祈ってくださるのです。

 15章のところで、「わたしはぶどうの木である。わたしにつながっていなさい。」ということを主イエスはおっしゃいました。「わたしにとどまっていなさい。わたしから離れないでいなさい。そうすれば、あなたがたは豊かに実を結ぶようになる。」というようなこともおっしゃっている。わたしたちはそのままでいれば、ぶどうの木であられるイエス・キリストから離れてしまう。わたしたちは、自分の人生は自分のものだと言って、キリストから離れてしまう罪深く弱い者たちです。そのようなわたしたちに向かって、「わたしにつながっていなさい」と主イエスはおっしゃいます。枝が木から離れてしまえば、実を結ぶどころか枯れてしまうのです。キリストにつながっていれば枯れることはないし、豊かに実を結ぶこともできるようにしていただける。それは農夫であられる天の父なる神様がしてくださることです。それは恵みです。「豊かに実を結ぶ」とは、信仰の成長をもたらしていただけるということです。「キリストにつながっている」とは、神様を愛し、イエス・キリストを愛して、お互い愛し合い赦し合って生きるということであり、そうすれば豊かに実を結ぶように神がしてくださる、信仰の成長をうながしてくださるのだ、と主イエスはおっしゃっているのです。

 また、13節に「しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。」とあります。この喜びというのは、イエス・キリストという木につながっていることによって、神様が豊かに実を結ぶようにしてくださるということによって得られる喜びであり、神様との間に、そして主イエス・キリストとの間において、わたしたちがお互い愛し合う信頼関係のもとに生きるようになること、愛において一つになることができるということ、それらによって得られる、わたしたちの信仰生活での喜びということです。その喜びを自分のものとするためにキリストから離れないでいなさい、と主イエスはおっしゃるのです。そのような喜びに生きることができるように、イエス・キリストは、わたしたちのために、とりなしの祈りを献げてくださっています。イエス・キリストは十字架にかけられて、死なれ、そして三日目のうちに復活を果たされました。そして、しばらくして天の父なる神様の御元に昇られまして、いま父なる神様の隣に座しておられ、本日の聖書の箇所にありますような、とりなしの祈りを献げてくださっております。わたしたちの信仰の歩みというものは、わたしたちの努力や決意によって、支えられているのではなくて、これまでも、イエス・キリストが父なる神様の右におられまして、わたしたちのためにとりなしの祈りを献げてくださっているからなのです。本日皆さんと聴いてまいりましたこの箇所ですが、イエス・キリストが、弟子たちと別れる前に、祈りを献げてくださっているこの祈り。その祈りをわたしたちのためにも、いまも祈っていてくださるのです。わたしたちの人生の歩みもこのようにして、わたしたちの救い主であられるイエス・キリストが、天の父にある神様に祈っていてくださることによって、わたしたちは支えられている。そのことをわたしたちはしっかりと心に留め感謝しなければなりません。わたしたちは、人生の歩みにおいて様々な困難な状況や不安の中に置かれることがありますが、イエス・キリストが、聖霊においてわたしたちとともにいてくださると同時に、天の父なる神様の右に座しておられて、とりなしの祈りを献げてくださることによって、わたしたちは希望を持って歩むことができるのです。これからの日々をそのことを確信して歩むことができるように祈り求めてまいりましょう。   閉じる