2023.7.16 聖霊降臨節第8主日礼拝
イザヤ書 第55章10~11節
ローマの信徒への手紙 第8章18~23節
マタイによる福音書 第13章1~9節、18~23節
                          

「豊かな実を結ぶ者」

本日は、「マタイによる福音書」を中心に御言葉に聴いてまいりましょう。

 本日皆さんと聴いてまいりますこの箇所は、「種蒔く人のたとえ」という名で呼ばれることが多いところです。この種は、何に例えられているのでしょうか。それは神様の御言葉ということがたとえられているのです。御言葉の種が蒔かれる。それがいろいろなところで実ったり、枯れてしまったりする。神様の御言葉がこの種ということを例えていると同時に、それとともに、それを聴いて受け止める人たち、そのこともこのたとえ話で例えられているのです。

 道端に落ちた種は、御言葉を聞くけれども、悪いものが来て、マルコによる福音書では、悪魔、サタンが来て、その御言葉が奪い去られてしまう。せっかく聴いたにもかかわらず、その御言葉がその人に入ってこない。また石だらけのところに御言葉が蒔かれる。それはどういうことかといいますと、御言葉を聴いてこれは良い言葉だったとすぐ喜んで受け容れるけれども、いろいろなこの世の苦しいこと、いろんなことを目にしたり体験したり、いろいろなことがあると、すっかりそのことを忘れてしまう。神様の教えは大事だけれども現実的にはどうなんだろう、ということでつまずいてしまう。22節に「茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。」とあります。わたしたちは、神様を信じていると言いながら、このような様々な心配なことと思い煩い、そして富の誘惑、そういうことが御言葉を覆いふさいでしまう。神の教えは大切だけれども、なんだかんだ言っても現実問題としては、やっぱり人生は金ではないかと、頼りになる友達がいれば、何とかこの世は乗り越えていけるのではないか。ということを考えてしまって、神様の教えをないがしろにしてしまう。神の言葉が覆いふさがれてしまう。そして結局は、神の御言葉がその人の中で実を結ぶということはなくなってしまう。そういう状態のことを、ここでイエス様はたとえで表しておられます。そして最後に、豊かに実を結ぶ良い土地、良い土地に御言葉の種が蒔かれれば、その実は、百倍、あるいは六十倍あるいは三十倍の実を結ぶのである。その良い土地とは御言葉を聞いて悟る人のことを表しています。そういう人が御言葉を聴けば、豊かな実を結ぶ。そういうことがたとえで述べられている。  わたしたちはこのたとえ話を聴いてまいりますときに、それでわたしたちはこの4種類の土地の中で、どれに当てはまるのであろうかと考えてしまうのではないでしょうか。しかしイエス様は、このたとえ話を語るにあたりまして、あなたは石だらけの土地だから、自分で努力して良い土地になるように頑張りなさいとおっしゃっているのでしょうか。あなたは石地の、石だらけの土地だと、あなたは茨の覆いふさいでいる土地だ、というふうにイエス様は、わたしたちをそれぞれに分類している、ということではないのです。そして、あなたはこれこれ土地だから良い土地になりなさい、努力しなさいとおっしゃっているのでもありません。

 それではどういうことなのでしょうか。わたしたちが自分で良い土地になるということではない。わたしたちの努力で、そのような土地になることはできないのです。それではどうなるのか。それは良い土地にしてくださる方がいる。御言葉を聴いて、百倍、六十倍、三十倍の実を結べるようにしてくださるお方がいるということなのです。石だらけの本当に硬い、その土地。その土地が実を結ぶ土地になるように、その石を砕いてくださる。わたしたちの頑なな心、御言葉を聴いて受け入れようとしない、わたしたちのその心を、石のような心を砕いてくださるお方がいらっしゃるのです。わたしたちが聴く神の御言葉は、いつもわたしたちの耳障りのいい言葉だけではありません。わたしたちの心、高慢な心を砕く言葉もあります。戒めの言葉、わたしたちができそうもないと思えるようなご命令、例えば、汝の敵を愛しなさい、迫害する者のために祈れと、主イエスはおっしゃる。厳しい言葉がある。そういうときにわたしたちは、砕かれるということなのです。詩編の中に、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」(51篇19節)という言葉があります。わたしたちは神様の前に、悔い砕かれた心を持って、み前に立つことが求められるのです。それが悔い改めということなのです。そのことを神様は求めておられる。わたしたちの頑なな心を砕いてくださる。そして悔い砕かれた者として、神様のみ前に立つことが出来る者としてくださる。そしてわたしたちを御言葉を聴いて、豊かな実を実らせる土地に変えてくださるのです。

 それでは、その実り、豊かな実りとはどういうことなのでしょうか。19節に、「誰でも御国の言葉を聞いて悟らなければ」とあります。畑に蒔かれる種として、ここで例えられているのは御国の言葉です。神の国の言葉、ここで言われている御国とは、天国、神の国のことです。神の国というのは、神様の支配されているところ、神様が生きて働いておられるところということですけれども、その神の国、天の御国の言葉が、実を結ぶということは、その御国、神の国の祝福に与ることです。さらにそれは具体的に言えば、キリストに似た者とされ、キリストに似た者に変えられるということ、そして、永遠の命に生きる者となるということなのです。わたしたちは、そのように神の言葉、御国の言葉を聴いて、多くの豊かな実を実らせることができるようにとの召しをわたしたちを受けています。わたしたちはそのように召されているのです。石だらけの土地、茨が覆いふさいでしまう土地、御言葉を聴いても、思い煩いや富の誘惑によって、種を枯らしてしまうような、わたしたちですけれども、しかし、そのようなわたしたちをも神様は、御心に留めてくださり、実り多い土地になるようにと召してくださっています。その召しにわたしたちはしっかりとお応えして歩んでいくことができるように祈ってまいりたいと思うのです。

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