2023.5.28 聖霊降臨日 ペンテコステ礼拝
創世記 第2章7節
コリントの信徒への手紙一 第12章3b~7節,12~13節
ヨハネによる福音書 第20章19~23節
                          

「聖霊を受けなさい」

 本日の礼拝は、聖霊降臨日、ペンテコステ礼拝としてお献げしております。

 本日は、「ヨハネによる福音書」を中心に、み言葉に聞いてまいりましょう。本日の聖書箇所の最初のところでは、「その日、すなわち週の初めの日の夕方」とあります。その日とは、どういう日だったのでしょうか。結論的に申しますと、イエス・キリストが復活なさった日のことです。わたしたちの救い主であられるイエス・キリストは、わたしたちの罪の赦しのために、わたしたちに代わって、十字架にかかられました。わたしたちの想像をはるかに超える苦しみを負われて、十字架の上で息を引き取られ、三日目に復活なさいました。まさにその日の夕方の出来事を、今日の聖書の箇所は記しているのです。

 19節に「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」とあります。彼らは何を恐れていたのでしょうか。イエス・キリストは祭司長、律法学者と言われる人たちの無実の罪の告発によって、十字架にかけられてしまいます。その人たちを始めユダヤ人たちの迫害を恐れていたのです。誰も入らないように、扉に鍵をかけていたのですが、それにもかかわらず、イエス・キリストがその弟子たちの真ん中に来られ、真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃった。「そう言って、手とわき腹をお見せになった」のです。その手やわき腹のその傷跡は、何のためだったかと言いますと、それはその弟子たちをも含む人類の罪の償い、贖いのためだということなのです。

 先ほど、弟子たちがどうしてユダヤ人を恐れて、鍵をかけて閉じこもっていたのか、という理由を申し上げましたけれども、もう一つの意味としまして考えられますのは、イエス・キリストが十字架にかけられる前に、直前まで、イエス様を救い主として信じ、自分の先生と慕っていた。その弟子たちが、こともあろうに一人残らずその自分の先生を捨てて逃げ去ってしまっていた。そのことに対する、深い言葉にできないような後悔の念があったのではないか。そのことのために彼らは、外にも出られなかったのだ、と思います。そのようにしているところに、イエス・キリストが、そのお姿を現されたのです。

 20節のところに、「弟子たちは、主を見て喜んだ。」とあります。自分たちの先生を捨てて一人残らず逃げ去ってしまった彼らは、深い後悔の念に襲われておりました。主のお言葉はその弟子たちに対する赦しの言葉だったのです。主が弟子たちのただ中に来てくださって、祝福をお与えくださり、そして、彼らの罪を赦すと言ってくださいました。自分たちに祝福を与えてくださる方を目の当たりにしまして、この弟子たちは、深い平安と喜びに満たされたことでしょう。

 22節に「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」とあります。聖霊を受ける。この聖霊という言葉ですが、元々は、「風」という意味もあります。この「風」というのはどういうことなのでしょうか。先ほど旧約聖書の創世記の2章7節を朗読いたしました。そこにはわたしたち人類の祖先のアダムが造られたときのあり様が記されています。神様が土で人形を作られて、その人形の鼻に神様が息を吹き入れてくださって、それによって、その土の人形は、生きる者となった、命が与えられました。それでわたしたち人類が生み出されたのです。神の息によって人類が造られる。まさにこの聖霊というのは、神様の息のことです。この弟子たちは、神様の息を吹き入れられて、まさに新しい命に生きる者とされたのです。これは大変大きな出来事であると言っていいと思います。神様の力、聖霊のみ力。それをいただいて、新しい命を生きる者として、弟子たちはこの後この世に福音を宣べ伝えるために、派遣されてきました。そのことが、教会の始まりということです。使徒言行録で記されておりますように、聖霊の働きによって教会が生み出されていった。その同じ出来事が、このヨハネによる福音書でも記されています。この箇所は別名「ヨハネによる福音書のペンテコステ」とも言われています。

 弟子たちは、聖霊の力、神の御力をいただいて、新しい命に生かされて、喜びをもってこの世に遣わされていったのです。わたしたちはどうでしょうか。わたしたちは日常において様々な出来事があり、不安や恐れの中におかれることもあります。不安を持たないで生きる人はおりません。わたしたちもまたこの弟子たちと同じように、不安な気持ちを抱えて恐れの中にあって、自分の心の扉に鍵をかけて、閉じこもってしまうということが、往々にしてあるのではないでしょうか。自分のことばかり気にして、前を向くことなく後ろ向いたままで、ずっと自分の心の中に閉じこもっているということがないでしょうか。しかし、そういうわたしたちの心の真ん中に、イエス・キリストは来てくださいます。そして、わたしたちに命の息、聖霊を送ってくださる。そして、新しい命を生きる者としてくださるのです。それはまさに、神様からの恵みです。恵みなのでそれは神様が自由な御心によってわたしたちにお授けくださるものです。ですから、わたしたちがそうしてくださるように、神様をコントロールすることはできません。しかし、ある人が申しましたが、聖霊の力をいただけるように、聖霊の力が働きやすいところに、わたしたちの身を置くことはできる。それがまさに教会なのです。そしてわたしたちが教会においてみ言葉にしっかりと聞くことによって、わたしたちの心を神様に向かって開くことができ、聖霊の力が働きやすいようにしていくことができるのです。自分の殻の中に閉じこもってしまいがちな弱いわたしたちが、聖霊の力をいただいて、新しい命に生きるものとされ、神様のご用のために、しっかりと希望をもって働くことができるように聖霊の力を請い求めて、祈ってまいりましょう。

  閉じる