2023.3.12 受難節第3主日礼拝
出エジプト記 第17章3~7節
ローマの信徒への手紙 第5章1~2節、5~8節
ヨハネによる福音書 第4章1~15節
                          

「永遠の命に至る水」

 本日は、ヨハネによる福音書を中心にみ言葉に聴いてまいりましょう。

 わたしたちの救い主イエス・キリストは、そのご生涯におきまして、そのほとんどの時間を伝道の旅に費やされました。本日の聖書箇所もその旅の途中における出来事です。主イエスは、サマリアというところを通られたとあります。そのサマリヤ地方のシカルという町で主イエスがある女性と出会われる、そのような場面です。主イエスは疲れを覚えられまして、井戸のそばに座っておられた、それはお昼頃のことであると聖書にあります。

 一人の女性がそこに水を汲みに来た。サマリアの女とあります。その女性に対して、主イエスは「水を飲ませてください」とおっしゃいます。その言葉を聴いて、この女性は驚きをもって主イエスに質問をいたします。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか。」と言ったとあります。9節に「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。」とあります。ユダヤ人とサマリア人。イエス・キリストはユダヤ人でありました。ユダヤ人とサマリア人というのは、詳しいことは省きますけれども、歴史的な経緯がありまして、お互い対立していた、反目しあっていた民族でありました。そのような状況の中でユダヤ人である主イエスがサマリア人の彼女に水を飲ませてください、と頼むのはとても意外に彼女は思えたのです。

 10節には、「『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」と、主イエスはおっしゃる。この言葉を聞いてこのサマリアの女性は、その意味がよくわからなかったはずです。でも彼女は主イエスとの会話に引き込まれていきます。このお方が「生きた水を与える」と言ってくださる。ただの水を飲ませてください、ということだけではなくて、最初イエス・キリストがこの女性に頼んでおられたのに、逆に「生きた水を与えるであろう」とおっしゃる。最初は頼まれていた側でいたのに、この15節にありますように、「その水をください」と女性は逆にイエス・キリストに頼むことになる。立場が逆転してしまうわけです。これはなぜなのでしょうか。なぜこのように立場が逆転してしまうのでしょうか。このお方が与える水というのが、生きた水である。その人の内に働いて、「その人の内に泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と主イエスはおっしゃる。「わたしが与える水を飲む者は決して乾かない。」

 このサマリア女性は、この意味がはっきりとはわからなかったのですけれども、いつも自分が苦労して、近くではないところにある井戸から苦労して水を運んでこなければならない、そのような苦労を彼女はしておりましたので、自分の中からコンコンと泉がわき出る。そのようなことをおっしゃるこのイエス・キリストのお言葉に、とても心を動かされたのです。それは彼女自身が実際の水の飢え、渇きということよりもむしろ、彼女自身がいわば魂の飢え、渇きと言ってもいい渇きにいつも襲われていたからではないでしょうか。今日のところの後のところにありますが、彼女自身は様々な男性との関係などでいろいろ問題を抱えている人であったのです。そのようなことからも、彼女自身がいつも魂の飢え、渇きというものを感じていたのでしょう。そうした中で、このようにイエス・キリストとの出会いが与えられる。彼女はそのイエス・キリストとの出会いは、全く想像もしていなかったことでありましょう。彼女のところにユダヤ人であるイエス・キリストご自身がわざわざ来て出会ってくださった。そして「わたしが与える水を飲む者は決して乾かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」とおっしゃいました。その出会い自体が、彼女にとっては驚きでありましたが、その依頼をしてくれた人が意外なことに、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」とおっしゃる。彼女はその意味がよくわからなかったのですが、まさに彼女が今陥っているその飢え、渇き、魂の飢え、渇きに潤いを与えてくださる方が、まさに自分の目の前に来てくださっている。この人はただ者ではない。永遠の命に至る水がわき出るとまでおっしゃる。イエス・キリストがこの女性に対して語りかけてくださって、生きた水、永遠の命に至る水を求める思いを起こしてくださったのです。わたしたちもこの女性と同じようにかつて魂の飢え、渇きを覚え、イエス・キリストが語りかけ、出会いを与えてくださったことによって、教会の群れに導かれた者たちです。このイエス・キリストが与えてくださる水は、一時しのぎのわたしたちの渇きを一時的に癒してくださるだけの水ではありません。それはわたしたちの内に働いてコンコンとわき出る泉からの水、永遠の命に至る水なのです。この泉は、主イエス・キリストご自身のことです。イエス・キリストがわたしたちと出会ってくださり、わたしたちに近づいて来てくださり、わたしたちの中に来てくださり、わたしたちの中に宿ってくださることによって、わたしたちを生かしてくださる泉がコンコンとわき出るようになる。わたしたちはまさに、その恵みにあずかっていると言えます。わたしたちが主イエスを信じ、主イエスと結び合わされることによって、主イエスがわたしたちの中で泉となってくださる。生きた水によって、わたしたちの魂の飢え、渇きを癒し、潤してくださるのです。わたしたちの主イエス・キリストは、わたしたちの救いのためにわたしたちの罪を背負って、罪の全てを背負って十字架にかかってくださった。死んでよみがえり、永遠の命を生きておられるお方です。わたしたちは、主イエス・キリストを信じることによって、その永遠の命にあずかる者とされるのです。そして、その水によってわたしたちに信仰の豊かな実を結ばせてくださいます。いつまでもわたしたちがその泉に潤されていくことができるようにいつも祈り求めてまいりましょう。

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