2022.12.25 クリスマス礼拝  降誕日主日礼拝
イザヤ書 第9章1〜16節
テトスへの手紙 第2章11〜14節
ルカによる福音書 第2章1〜14節
                          

「闇の中に輝く光」

 今年も皆さんと共にクリスマスの礼拝をご一緒にお献げできますことを神様に感謝いたしましょう。

 主イエス・キリストは、ヨセフとマリアという人たちを両親としてお生まれになりました。その両親はナザレというユダヤの北部にある町に住んでいました。彼らは住民登録のためにそこからベツレヘムまでの旅をしたと、きょうの聖書の箇所にあります。ガリラヤからベツレヘムまで約120キロの距離です。北海道で言えば、苫小牧から北は滝川、東は様似町あたりでしょうか。その距離を歩いて帰ったのです。特に、マリアは身重の体でありましたから、歩いて120キロの距離を旅することは、(途中ロバに乗ったかもしれませんけれども、)大変につらい旅であったことでしょう。やっとの思いでこの120キロの道をベツレヘムに若い夫婦は帰っていったのです。帰っていったのですけれども、彼らに宿がなかった、とあります7節にあります。おそらく、住民登録をするためにイスラエル、ユダヤの各地からこのベツレヘムに帰ってきた多くの人たちのために、宿屋がなかなか取れなかったのでしょう。そこで彼らがそのときに「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」とあります。ここにはないのですけれども、この飼い葉桶というのは、馬や牛に干し草などを与えるためのかごのようなものです。そこにイエス様が寝かされたということから、おそらく馬小屋でお生まれなったということが推測されています。

 彼らはなぜこのようなところで、泊まらなければならなかったのでしょうか。おそらく彼らはお金を持っていればどの宿でも満室だとは言われていても、泊まるところを確保することができたはずですが、彼らはそのようなお金がなかったのでしょう。しかしわたしたちは少し考えてみますと、身重の体で泊まるところを探し回っている、その二人を見れば、自分のところに泊まりなさい、と言ってくれる人がいてもよさそうなものですが、誰もいなかったということなのです。本当にこれは世の中が荒れすさんでいるといいますか、本当にこれは冷たい仕打ち、世間の冷たい仕打ちということです。世間でとりあげられているクリスマスには、きらびやかなイメージがあります。クリスマスソングやサンタクロース、クリスマスセールの様々な歌やその他輝くようなイメージがありますが、わたしたちは、今日このように聖書から聴くときに、このイエス様がお生まれなったときには、このような決して明るくはない、暗い状況の中だったということを、わたしたちはこの聖書から気づかされるのです。しかし、主イエスのご誕生の状況は、一見してそういう暗い、つらい出来事のように見えるのですが、聖書は、この一見暗いイメージの出来事が、実は大きな喜びの出来事であると告げております。なぜそういうことが言えるのかと言いますと、次のこの8節以下ですが、羊飼いたちがおりまして、羊飼いというのは、夜通し羊と共に、一日中羊の世話をするのですが、夜も狼などに襲われないように野宿をして羊の群れの番をしている人たちです。その人たちのところに天使が現れた、とあります。10節ですが、「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。』」とあります。しかし、なぜそれが大きな喜びなのでしょうか。なぜなら、この馬小屋でお生まれになったこのイエスこそ、世界の歴史を変える、それほどの救い主である。全人類を救う救い主がお生まれになった。イスラエルの街の片隅で、誰も知られないようにしてお生まれになったこの小さな赤ん坊が、人類を救うお方である。そのお方がこの世にいらっしゃったこと。そのことが真に喜ばしいことだからなのです。そしてその方が、11節にありますが、「あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と天使が告げた、救い主、主メシア、わたしたちのためにお生まれになった方。小さな赤ん坊ですけれども、その方こそわたしたちの救い主である。イエス・キリストは、この世に来られて、そして大人になって神様の教えを宣べ伝えられ、病気の人たちや悪霊に取り憑かれている人たちを救い、そして全人類の罪を背負って、十字架にかかってくださり三日目に復活なさいました。それはわたしたちの救いのためでした。そのことは羊飼いたちは知らなかったのですけれども、神様の御使いたち、すなわち天使たちの言葉によってこの方こそ救い主だということを信じることができたのです。そのことをこの日、羊飼いたちは信じたのです。そのときに、この悲惨で暗いこの出来事が、実はわたしたちにとっての大きな喜びの出来事であったということを彼らは知ることができたのです。それはわたしたちに与えられた神様の大いなる恵みです。彼らはその大いなる喜びの出来事を見て、神を賛美しながら帰っていったと20節にあります。その救いの恵みの大いなる出来事を彼らは見て信じ、そして神を賛美して、帰っていった。彼らはそのときから新しくされたのです。新しく生きることができました。このクリスマスの出来事は、わたしたちを新しくしてくださいます。主イエスが、罪深い、弱い者であるわたしたちの救いのためにお生まれになり、そしてそのお方が今もわたしたちと共にいてくださって、わたしたちを助けてくださる。そのことを信じて生きる信仰がわたしたちに与えられ、わたしたちは新たにされるのです。それはまさに闇の中に生きているように思われる、わたしたちにとっての光です。この世は闇だ、というようなことが時々言われますけれども、しかし、闇のように見えるこの世の中で、悲惨な出来事ばかりあるこの世の中で、闇の中でイエス・キリストという光が輝いているのです。その希望の光を見つめて、わたしたちが今日から始まる日々を希望を持って歩んでいくことできるように祈り求めてまいりましょう。神様は、必ずわたしたちを新しくしてくださり、救ってくださるお方だと信じましょう。

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