2022.10.23 聖霊降臨節第21主日礼拝 《秋の特別伝道集会》
コリントの信徒への手紙一 15章1〜11節


                          

「神の恵みによって」

 本日皆さんと聴いてまいりますこのコリントの信徒への手紙の2節に「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。」とあります。福音といいますのは、喜ばしい知らせという意味です。神の教えの喜ばしい知らせ。それによって、あなたがたは救われるのだと手紙の著者のパウロは述べるのです。その福音とは何かということが、きょうの3節以下に記されています。3節から5節に「最も大切なこととしてわたしがあなたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」とあります。この福音がパウロ自身を救ったのです。彼は救いの恵みにあずかって、今日まで生きていることができているという、感謝にあふれ、喜びにあふれてこの手紙をコリントの教会の人たちに向けて書いています。

 それではなぜ彼はこのような喜びの内にいることができるようになったのでしょうか。9節に「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」とあります。この使徒パウロは、かつては(キリストを信じる前は)、キリストを信じている人たちを迫害していた人です。パウロは、かつてはキリストに、教会に敵対する者でありました。彼はユダヤ教の熱心な信徒として、指導的な立場にあった人です。ユダヤ教徒は旧約聖書の教えを聖典として信じて生きていました。旧約聖書の教えは、律法と言われる教えです。たとえば十戒に代表される律法、神の掟。姦淫してはならない、盗んではならない、殺してはならない、偶像崇拝をしてはならない、という戒め、掟がこの旧約聖書に収められています。その律法の教えを、きちんと忠実に守ることによって救いが得られるということを、パウロやユダヤ教徒たちは固く信じておりました。このパウロはキリストを信じる前はこのユダヤ教の教えを固く信じて忠実に守る。誰よりも忠実に守っていると自負していた人でした。そのパウロがこのキリストの教えを宣べ伝え、キリストの福音によって救われた、と言えるほどの人になったのはなぜなのか。それは、あるとき彼の前に復活のキリストが現れてくださったことによって、キリストを信じて生きる者にパウロは変えられたのです。それまで彼は、律法の教えを忠実に守ることによって救いが与えられると信じていました。そして、律法の教えをないがしろにして、キリストを信じる信仰によって救われるなどと言う者たちは、赦しがたいと思っていた、そのパウロが、律法の教えではなく、律法の教えよりも、律法をきちんと守れなくてもイエス・キリストを信じることによって救われる。そのことに彼は復活の主に出会うことによって気づかされたのです。変えられたのです。3節から4節にありますように、主イエスが十字架によって死んで葬られ、そして三日後に復活されたということ、それがまさに福音ということですが、そのことに彼は目が開かれたのです。キリストが十字架にかけられて死んだ。これは処刑されたということですけれども、それは何の罪を犯したから処刑されたのか。イエス・キリストご自身の罪によって殺された、処刑されたのではありませんでした。それは本来十字架にかけられなければならなかった罪深いわたしたちのため、わたしたちの罪が赦されるために、わたしたちの身代わりのために十字架にかけられたということなのです。このパウロがキリストと出会うことによって、そのことに気づかされ、彼は人生の大転換をさせられたのです。自分のこれまでの多くの過ちに気づかされたのです。そのことによって、パウロはすっかり生まれ変わることができたのです。

 わたしたちの多くの罪はイエス・キリストによって担われ、十字架によって全て滅ぼされます。イエス・キリストが復活なさったことによって、わたしたちの罪は赦されるのです。たとえわたしたちが神様の前で立派に生きることができなくても、そのままのわたしたちを神様は赦し、愛してくださる、受け入れてくださるのです。自分は他の人に比べて、あれができないこれもできない。何も立派なことはできない。失敗ばかりしている。いつも人と比べて劣等感にさいなまれている。そのようなわたしたちでも、神様はわたしたちを愛し、受け入れてくださる。その根拠が、主イエスがわたしたちの罪のために、わたしたちの罪の全てを背負って十字架にかかってくださった、そして復活なさったということにあるのです。それがまさに福音であり、わたしたちの救いの根拠です。そのことをパウロは復活のキリストと出会うことによって、気づかされたのです。

 そのことが10節にあります、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」とパウロは言っている意味なのです。わたしたちが、今どんな苦しみ、悩みの中にあり、劣等感にさいなまれるなどの状況にあっても、神様は愛してくださる、受け入れてくださる、それが神の恵みなのだということにわたしたちは、主イエスに出会うことによって気づかされます。神の恵みのうちにわたしたちが生かされている。そのことに感謝して歩む、そのことがまさにわたしたちにとっての救いです。

 たとえ病気が治らなくても、いま苦しい状況がすぐに解決しなくても、わたしたちが神の恵みのうちに生かされている。そのことを信じるならば、感謝して歩むことができるのです。そのように歩みなさい。それが神の救いなのだと主イエスはわたしたちに語りかけ、そのように生きるように招いてくださっているのです。それは、礼拝において主イエスと出会わせていただくことによって可能なことなのです。そのように、主と出会い、新しくされ、神を信じ、恵みに感謝して生きることができるようにこの教会の礼拝に集い続けてまいりましょう。

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