2022.10.9 聖霊降臨節第19主日礼拝
列王記下 第5章14〜17節
テモテへの手紙二 第2章8〜13節
ルカによる福音書 第17章11〜19節
                          

「戻って来た者」

 きょうの聖書のところで、主イエスはエルサレムへ上る途中のある村で、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎えたとあります。この重い皮膚病という病気は今ではどういう病気なのかは特定はできません。いろいろな皮膚病のことを指していると言われています。この病気を患っている人たちは、ひどい差別を受け、非常につらい思いをして生きていたのです。この病気にかかった人たちは、恐るべき伝染病にかかった者とされて、町の外に住むように決められておりました。彼らは、村の人たちと身体的な接触がないようにということで隔離されていたのです。共同体においてみんなと一緒に生きるということができなかったのです。彼らは病の苦しみとともに、そういう社会的な差別を受けて精神的な苦しみも背負って生きていました。それでこの重い皮膚病を患っている人たちが、イエス・キリストを出迎え、そして遠くの方に立ち止まったまま、「声を張り上げて『イエスさま、先生、どうかわたしたちを憐れんでください』と言った。」とあります。彼らは「わたしたちを憐れんでください」と叫びました。病を癒してください、救ってくださいということだと思います。その彼らを見て主は、14節ですが、「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』と言われた。」とあります。律法によりますと、この重い皮膚病にかかった人たちは、病が治ったということ。そのことによってすぐに共同体の交わりを回復するということにはなりませんでした。病が治ったからといってすぐに、彼らはもう一度村に迎え入れられる。普通の付き合いができるということにはなりません。祭司と言われる人たちに認定してもらって、浄めの儀式を行って初めてその病気が宗教的な汚れから清くされたと認定してもらうわけです。ですから、イエス・キリストはそのために祭司のところに行くようにお命じになったのです。 その十人はみんな祭司のことろへ向かう途中で病が治りました。  しかし、その十人の中のサマリア人だけが、イエス・キリストのところに戻ってきたのです。15節16節には、「その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で神を賛美しながら戻ってきた。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人は、サマリア人だった。」とあります。どうしてこのサマリア人一人だけが戻ってきたのでしょうか。そのことがきょう皆さんと聴いております、この話の中心なのです。他の九人はどうしたのか。彼らも病気が癒されたことに大変感謝したことでしょう。心の中でイエス・キリストに感謝したはずです。しかし、主のもとに戻って来たのはサマリア人だけでした。彼は大声で神を賛美しながら戻ってきて、主イエスの足もとにひれ伏して感謝しました。そこまで彼を駆り立てたものは何だったのでしょうか。19節ですが、「それから、イエスはその人に言われた。『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』」とあります。神様の救いと病の癒やしということは、イコールではありません。

 この世には様々な宗教がありますけれども、様々な苦しみ悩みからの解放を願って、ある人たちはお布施を払ったりしています。いわゆるご利益宗教ということですが、もちろん、その宗教を信じることによって、人々の悩み苦しみがなくなるということもあります。気持ちが楽になる。その問題は何も具体的には解決していないのだけれども、その受け止め方を変えることができれば、そこからの解放も与えられるということです。しかしここで言われている「あなたの信仰があなたを救った。」というときの救いとはそういうこととは違います。これはただ単に病気が治ったりすること。家庭内の問題が解決するといったようなこと。そのことも大事なのでありますが、実は「神の救い」というものは、そういうことだけではないということがここで言われているのです。

 このサマリア人は、神様に、イエス・キリストに感謝し、神様を大声で賛美し、イエス・キリストの足もとにひれ伏しました。そのことはイエス・キリストを礼拝するということそのものではないでしょうか。サマリア人は自分が癒されたその患部を見て、その先に神様の憐れみの指をそこで彼は見てとったのです。そのことによって、この御方こそ救い主だということがわかり、この御方を讃美し、ひれ伏し感謝するという信仰が起こされたのです。キリストとの交わりに生きることが救いであると彼は知るのです。神様への賛美と感謝の中に生きること。それが神との、キリストとの交わりに生きるということです。それが「救い」ということなのです。ご利益宗教ではない、わたしたちのこの救い、救われた喜び。この喜びのうちにわたしたちが神様との交わりに生きる、神を賛美し、神に感謝して生きる。そのことが救いだと主イエスはこのサマリア人におっしゃったのです。主イエスは、病の癒やしという奇跡を通して、このサマリア人を神との交わりに招き入れてくださったのです。それが「救い」です。「神の救い」なのです。

 わたしたちは生きていく中で、いつも様々な悩み苦しみがありますけれども、主日の礼拝ごとに、イエス・キリストの許に戻って来ます。わたしたちは礼拝において、御言葉に聴き、「あなたこそ救い主であられます」との信仰の告白をし、主を讃美します。そういうわたしたちに対して主は、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言ってくださって、週の初め、この礼拝においてわたしたちを勇気づけ、慰めこの世に送り出してくださいます。わたしたちもまたこのサマリア人のように、信仰による救いを与えられて、きょうから始まる一週間を希望と喜びをもって歩むことができるのです。

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