2022.8.14 聖霊降臨節第11主日礼拝
エレミヤ書 第38章4〜6節,8〜10節
ヘブライ人への手紙 第12章1〜4節 
ルカによる福音書 第12章49〜52節
                          

「平和か対立か」

 本日は、ルカによる福音書を中心に御言葉に聴いてまいりましょう。

 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」きょうの聖書箇所の49節で、主イエス・キリストは、弟子たちに驚くようなことをおっしゃいます。51節には、「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」ともおっしゃっています。わたしたちは、イエス・キリストがこの世に平和の君として来られたということをクリスマスの御言葉に聴きます。平和をもたらすために、イエス・キリストがこの世に来られた。しかし、今このところでは、そのことと全く逆のことをイエス・キリストがおっしゃっているかのように思えます。

 なぜこんなことを主はおっしゃったのでしょうか。結論的に申しますならば、この火とは、神の火ということです。神様からの火です。ルカによる福音書のずっと前のところで、イエス・キリストが洗礼を受けられる場面があります。洗礼者ヨハネからヨルダン川で、洗礼を受けられる。ヨハネがそのときに、イエス・キリストは聖霊と火で洗礼を授けると言います。火と聖霊が並んで述べられているところからもわかるように、ここで言われている火は、聖霊のことでもあります。神からの火ということなのです。わたしたちはこの地上に投じられた火が、神からの火である、そのようにわたしたちは読む必要があります。

 51節のところも、わたしたちに戸惑いを覚えさせる箇所です。この世に平和をもたらすためにいらっしゃったはずのイエス・キリストが、分裂をもたらすとおっしゃっている。それは何を意味するのでしょうか。具体的に申し上げますならば、例えば、家族にクリスチャンがいない。誰もクリスチャンがいない家庭に育った人などの家庭には起こることでありますが、ある人が礼拝に行こうとする。キリスト教信仰に入って洗礼を受けようとする。そうしたときに、家族の人たちが諸手を挙げて賛成するかというと、多くの場合そうではありません。家の中にさざ波が起こります。そのことによって、甚だしい場合には、家族の中で対立も起きてしまう。53節にありますけれども、「父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと対立して分れる。」とあります。

 家族というのは、わたしたちがこの世に生を受けたときに、選ぶことができるものではありません。生物学的に言えば、誰かの子どもとして生まれる。それが自動的に親子になるということですけれども、しかし、自然にそのようになるのでしょうか。親は子が生まれて親になる。しかし、それは自然にそうなるのではないのでしょう。お互いに努力をしていかねばならない。小さいうちは子どもはかわいいけれども、大きくなったらどうなのか。親に反抗したらどうなんだろう。かわいいから愛するということではないと思います。愛とは努力することです。わたしたちがきょうのところで、注目させられるのは、イエス・キリストが分裂をもたらす、というような言い方をなさることによって、わたしたちが元々当たり前に考えていた、身の回りの人との関係、特に家族との関係を改めて見つめ直させられているのではないでしょうか。

 先ほど、キリスト教信仰に入る家族がいたら、さざ波が起こると申しましたけれども、そのこととは別に、何らかの形で家族同士いがみ合い、対立しているということはよくあることです。それどころか、現実にお互いに殺し合うような恐ろしいことが起きている。親子の関係だからといって、即、愛情の関係にあるわけではない。わたしたちは、家族の関係をより良いものにするために、愛情を持って接しなければならない。しかし、わたしたちは、弱い存在でありますので、自分たちの努力だけでは、なかなかその関係を保つことができない。わたしたちは、本来であれば、わたしたちがその深い罪のゆえに神様からの火によって、焼き滅ぼされなければならないにもかかわらず、わたしたちの代わりに、イエス・キリストが神からの火によって十字架において焼き滅ぼされたのです。わたしたちはその神様を信じることによって、洗礼を受けることができました。その洗礼は、古い自分が神様からの火によって焼き滅ぼされ、そして新たに生まれ返らされることです。神様からの火は、わたしたちを滅ぼすだけではなく、わたしたちを新たに生かしてくれる火なのです。わたしたちが、そのことをしっかりと心に留めて、わたしたちの家族、友人、その間の関係を考えるならば、わたしたちは改めて気づかされることがあります。わたしたちが、新しくされるこの神からの火、その火によってわたしたちの家族の関係、地域社会、友人との関係。特に家族の関係も神からの火によって焼かれ、清められ、新しくされるのです。馴れ合いの関係ではなく、わたしたちは神からの火によって、わたしたち一人一人が、焼かれることによって、わたしたちの関係は新たにされるのです。それは、イエス・キリストの十字架の愛によることなのです。神からの火によってわたしたちが新たにされるということです。それはわたしたちにとって大きな恵みです。わたしたちが十字架の火によって焼き尽くされ、新たにされたということを、深く心に留めて、それを神様からの愛として感謝して歩むときに、愛をもって、家族の間の関係を作ることができ、隣人との関係も新たにされるのです。それは、神様がわたしたちの中に、火を投げ入れてくださったからです。わたしたちの努力だけではない。イエス・キリストによって、神からの火をいただくことによって、わたしたちが古い自分に死んで、新たにされるのです。そのことが起こるようにひたすらに祈り求めてまいりましょう。

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