2022.7.31 聖霊降臨節第9主日礼拝
詩編 第96篇1〜11節
コロサイの信徒への手紙 第3章1〜11節
ルカによる福音書 第12章13〜21節
                          

「人は何によって生きるか」

 本日は、新約聖書ルカによる福音書を中心に御言葉に聴いてまいりましょう。

主イエスはきょうのところで、「人生は各自が持っているものによって決定づけられるのではない」ということを教えるために、ある金持ちのたとえを話されます。神様は、その金持ちに対して「お前の命が、明日取り上げられたら、それもあなたが一生懸命稼いだものも、おそらく誰のものになるんだ」とおっしゃるのです。ここでわたしたちは、新ためて気付かされるのです。わたしたちが持っているもの、財産その他いろいろなものは、自分のものだと確信を持って、ほとんどの人が言うのですけれども、それでは自分の命は自分のものなのでしょうか。この命というものは一体誰のものなのでしょうか。この命というのは、神様が与えてくださったものなのではないのでしょうか。わたしたちの命は、本当は自分たちのものではなくて、神様のものである。生命も神様に与えられ、神様から取り上げられるということを、この金持ちの例えで出てくるこの人は、知らなかったのです。自分の能力や力で、このあり余る収穫を得たと思っているわけですが、この人は全てわたしがしたことだというふうに考えているのです。だから、自分で獲得した財産をどう使おうが、自分の勝手であると考えて倉を立てて、これから先何年も優雅に楽に暮らしていけるのだと思い込んでいるのです。しかし、「明日、今夜、お前の命は取り上げられる」と言われたときに、これまで彼が築き上げてきた財産というものが、いかに虚しいものかということがわかってくるのです。そこできょうの聖書箇所の最後のところで「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」と主イエスはおっしゃっています。神の前に豊かになりなさいとイエス・キリストはお命じになっているのです。それでは、神の前に豊かになるということはどういうことなのか。神様の前で正しい行いをして、善行を積むということなのか。そのことを神様が喜んでくださり、わたしたちに恵みを与えてくださるということなのでしょうか。そうではありません。具体的に言えば、この33節にありますが、「自分の持ち物を売り払って施す。」自分の持っている物を売り払って、貧しい人に与える、施す。そのことが、富を天に積むことなのだとイエス・キリストはおっしゃるのです。自分が獲得した財産、自分が持っているもの、そのことによってわたしたちは生きるのではない。わたしたちの人生は、そのことによって決定づけられるのではなくて、わたしたちが持っていると思っているものを、貧しい人たちに施すということ。そのことが、富を天に積むことなのであり、神の前に豊かになることなのだと主イエスはおっしゃっているのです。

 神様を愛し、隣人を愛して生きること。そのことが、わたしたちにとっての大切な掟(戒め)であるとマタイによる福音書(22章34〜39節)で、イエス・キリストはおっしゃっています。わたしたちが救われて生きる上で大切な戒めが、この神を愛し、隣人を愛して生きることだと、イエス・キリストはおっしゃっている。そうであるならば、わたしたちが持っている、自分たちのものだと思っている財産。本当はそれは神様のものですが、それを神様のため、隣人のために用いる。そのことが、わたしたちにとっての救われて生きる道なのです。それが神の前に豊かにされて、生きることそのことなのです。わたしたちの人生は、わたしたちが持っているものによって決定づけられるのではなくて、神様の前に豊かになることによって決定づけられるのです。それは、神様との関係をしっかりとわたしたちが見つめ直して生きるということが基本にあります。わたしたちと神様との関係とはどういうことか。それは、わたしたちが生きるのは、わたしたちの努力や才能、持っているものではなくて、神様の恵みによってわたしたちは生きているのだということなのです。

 わたしたちは生きていく中で、人と比べたりして、あれがない、これがない、これがあったらもっと幸せに生きていけるのにと考えてしまいますけれども、大切なことは、自分の努力や才能や財産によって生きるのではなくて、神様の恵みにあずかって生きるということなのです。それは具体的にどういうことかといいますと、先週も御言葉に聞きましたが、神様に祈りを捧げながら、感謝して生きるということです。それはまさに信仰そのものといって過言ではありません。神の恵みに依り頼んで生きる。神の恵みに感謝し、神に祈りを捧げつつ、生きるということなのです。そのように生きるわたしたちに、たとえ神様が、いずれは命が取り去られるときが来る。ひょっとしたら今日かもしれない。明日かもしれないと言われたらどうすればよいか。そのときになってわたしたちは、神様の恵みに感謝して、神様に全てをお委ねして、きょうのことは精一杯生きる。そして、わたしたちがこの地上の生涯を終えた後も、死んだ後も新しい命を与えてくださるということ。復活の命、永遠の命を与えてくださるという希望がわたしたちに与えられているということを確信して、わたしたちが死に臨んでも希望を持って、その死を迎えることができるという道がわたしたちには与えられているのです。

 わたしたちが生きるのは、わたしたちが持っているものによって決定されるのではない。わたしたちは、神様から与えられる恵みによって、生きるのだということ。そのことをしっかりと心に刻んで、感謝して歩んでまいりたいと思います。

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