2022.6.5 ペンテコステ礼拝 聖霊降臨節第1主日礼拝
詩編 第104篇24〜35節
使徒言行録 第2章1〜21節
ヨハネによる福音書 第14章15〜16節、23〜26節
                          

「聖霊が降る」

 本日の礼拝は、ペンテコステ礼拝としてお献げしております。聖霊降臨日とも申しますが、このペンテコステは、教会の歴史におきまして、クリスマス、イースター・復活祭とともに、大きな出来事として捉えられております。それらのことを記念しまして礼拝を献げしているのです。

 きょうの聖書の箇所で、五旬祭という祭りの日に、イエス・キリストの弟子たちが集まって、祈りを献げていたとあります。そのときに、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえたとあります。さらに3節にありますけれども、「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」とあります。そして4節ですが、「すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」とあります。とても不思議な出来事が起こったのです。

 当時このエルサレムには、ユダヤ人が住んでいたわけですけれども、多くの人たちが、その昔外国に散らされて、そしてその子孫が、再びエルサレムに帰ってきて住んでいた、ということがありました。きょうのところで、大きな物音がしたということに驚いて、その多くの人たちが、その弟子たちが集まっていたところに外国生まれの人たちが集まってきたというのです。そこにおいて、それぞれの弟子たちが、それぞれに話をしていたのですが、その話を聴いて外国から集まってきた人たちが驚いたのです。それぞれ外国で彼らは生まれ育ってきたのです。そのところの言葉で生きてきたわけですが、そのそれぞれの言葉で弟子たちが話をしていたというのです。4節に「すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」とあります。まことに驚くべきことが起こったのです。わたしたちはこのことに関連して、創世記の中の、バベルの塔のお話を、思い起こすのではないでしょうか。天から届くばかりの塔を立てて、自分たちが神様のようになろうとした人たちがいて、力を合わせてそういうことをしたわけですけれども、その人たちの思いをくじくために、傲慢な彼らを思い知らせるために、神様はどういうことなさったかというと、同じ言葉を話していた彼らの言葉を乱したとあります。それぞれの言葉を、違う言葉を話すようにして、意思の疎通ができないようにして、その傲慢な思い上がった彼らの考え方をくじかれたのです。その言葉を乱された人たちが世界中に散っていったと。それが今、世界中で言葉が違っている理由であると。創世記には記されてあります。

 きょうのところで、違う言葉が弟子たちによって話されていたとありますが、しかし一つのこと、偉大な神の偉大な業を語っているということを、このそれぞれの出身者の人たちは理解したのです。彼らはその意味を理解したのです。その神の偉大な業、すなわち、キリストの十字架と復活の救いについての、その話の内容。その一つの大切な話を彼らは理解したのです。きょうこの「聖霊が降る」というペンテコステ五旬祭の出来事、外国生まれの人たちが、一つのところに集まって、神の偉大な業について聴くことができたということ。それは、バベルの塔の出来事によって、散らされていってしまった、その世界の人たちが、このことによって、再び結集、再結集ということですけれども、再び集められた。それは聖霊の力によることであったということです。そのようにして、散らされていた人たちが集まってきて、聖霊の力によって再び結集させられるということ。それが教会の始まりであると言われております。この出来事のあったときから、聖霊によって一つにされ、神の偉大な業、救いの御業を世界の人たちに伝えるきっかけとなったのです。聖霊の力、働きによって人々が結集させられたこと、そのことは、教会ができた始めを表しているのです。このときから教会が始まりました。イエス・キリストが十字架にかけられて、死なれ、復活なさって、四十日の間弟子たちと共におられたのですけれども、四十日後に天に登られ、神様の右にいらっしゃるようになった。そのときから目に見える形では、主イエスは、人間の前に現れることはなくなってしまったのです。しかし、イエス・キリストは、聖霊をお遣わしになって聖霊としてわたしたちの近くに来てくださるようになったのです。それとともに、天の父なる神様は救いの御業として、キリストの体なる教会をたててくださったのです。このきょう皆さんと読んでいるこのところから、このときから、キリストの体なる教会が、誕生し、今に至っているのです。このきょうわたしたちがこうして集まっております、この礼拝において、イエス・キリストが聖霊として来てくださっている、このただ中に来てくださっているのです。それがわたしたちの救いの証です。そして、わたしたちが聖霊の力を求めて、祈っていくときに、わたしたちに聖霊の力が注がれ、神の偉大な業をこの世の人たちに語り伝える力が与えられるのです。きょう始めのところで、聖霊とは何かということを、み言葉に聴いていきたい、考えていきたいと申しましたけれども、聖霊とは神様の働きのことであります。神様の息です。聖霊は目に見えないお方でありますけれども神様のもとから、わたしたちのところに送られてくる神様の息です。その聖霊の力がこの教会に働いているのです。注がれているのです。神様の御力、聖霊の力はこの教会に働いています。しかし、この聖霊の力は、わたしたちが「すぐに来てください」と言って、わたしたちの意思の力で来させることはできません。それでも、わたしたちは聖霊の力が働いてくださるように祈り求めることはできます。思いのままに吹くその聖霊の力を、わたしたちは祈り求めていきたいと思います。そのことによって神の救いの御業を語り伝える力がわたしたちに与えられていくのです。そのことをしっかりと心に留めて、この聖霊降臨の出来事に感謝して、教会形成と伝道の業に励んでいくことができるように、祈り求めてまいりたいと思います。

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