V 【説教】2022年5月22日

2022.5.22 復活節第六主日礼拝
詩編 第67篇1〜8節
使徒言行録 第15章1〜2節、22〜29節
ヨハネによる福音書 第14章23〜29節
                          

「聖霊による平和」

本日は、新約聖書のヨハネによる福音書を中心に、み言葉に聴いてまいりましょう。きょう皆さんと聴いてまいります箇所ですが、この箇所を含む14章は、最後の晩餐と言われる時に、主イエスが弟子たちにお語りになったみ言葉であります。過越の祭りにおきまして、イエス・キリストが、十二弟子たちと最後のお食事をなさる。そのときに語られた主イエス・キリストのみ言葉であります。この後、主イエスは、捕まえられてしまいまして、十字架にかけられ殺されてしまいます。そういう意味で、この十二弟子との最後のお別れ。その時間を主イエスは過ごされたのです。

 25節と26節をご覧ください。「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。」「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってをお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」 わたしが、天に昇れば、目に見える姿で、あなたたちの前にはもう現れることはないけれども、弁護者、聖霊として、わたしはあなたたちのところに来る。そして、すべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる、とおっしゃるのです。ここで「思い起こさせてくださる」という言葉ですけれども、これは、過去のことを思い起こす、思い起こさせるという意味もありますけれども、他に、悟らせる、実感させるという意味もあります。弟子たちの愛するイエス・キリストが、聖霊として、自分たちの近くに来て、様々なことを教えてくださる。守り導いてくださるということを、実感させる。実感させられるということなのです。

 主は目には見えないお方でありますけれども、わたしたちのそばに来てくださり、そしてわたしたちの心の中に、入ってきてくださるのです。わたしたちはこのようにして、本日礼拝をお献げするために、この礼拝堂に集っておりますけれども、それは、わたしたちの意志で来たということだけではなくて、聖霊としてわたしたちのところに来てくださっているイエス・キリストが導いてくださっているからなのです。

 ところで、29節、30節をご覧いただきたいのですが、「事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。」と主イエストはおっしゃいます。この「世の支配者」というのは、誰のことを指しているのでしょうか。この後、祭司長や、ファリサイ派と呼ばれる人たちが、イエス・キリストを十字架にかけることになるのですけれども、いわばこの世の力がイエス・キリストを十字架にかけるのです。しかし、その「世の支配者」というのは、原文では単数形で示されているのです。祭司長やファリサイ派たちの背後にいるひとりの存在がある。それはサタンと呼ばれるものです。そのサタンでもその主イエスの御業を妨げることはできないと主はおっしゃるのです。悪魔サタンは、わたしたちの信仰を揺るがせます。様々な誘惑によって、神様からわたしたちを引き離そうといたします。それがサタンの企みであります。サタンの力。闇の力は、このようにいまを生きるわたしたちを悩ませます。多くの不安に陥れるものでありますけれども、しかし、イエス・キリストは、その闇の力、そのサタンの力に打ち勝ってくださいます。終わりの日には、イエス・キリストが再びわたしたちのところに来てくださるその日には、闇の力、その強大な力も全て打ち滅ぼされます。そして、目に見える形で、イエス・キリストがわたしたちの前に現れてくださるのです。それが救いの完成の日です。その時を「再臨」と言いますけれども、そのことが聖書で約束されているのです。

 わたしたちは、日本キリスト教会の信仰告白にもありますけれども、主がまた来られるのを待ち望みつつ生きています。そのことがわたしたちの希望であります。しかし、目には見えない形ではありますけれども、イエス・キリストが聖霊としてわたしたちのそばに来てくださる。わたしたちの心の中に来てくださるということ、そのことはいわば、終わりの日に実現する、目に見える形での主イエス・キリストの再臨の先取りといってもいいのではないでしょうか。そのことが、主がこの弁護者として、聖霊として来てくださるということに示されています。

 27節をご覧ください。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」と主イエスはおっしゃっています。主イエス・キリストが弟子たちを前にして、今後昇天すれば地上で相まみえることはないけれども、聖霊として、あなたたちの前に来るとおっしゃる言葉を、弟子たちは聞いて怯え、心を騒がせる。そういうことが、予想されたわけですけれども、それに対して、主イエスは「恐れるな」と、彼らに語りかけます。わたしの平和を与えるから、恐れるな。「心を騒がせるな」と主はおっしゃっているのです。ここで言われる「わたしの平和」すなわち神の平和とはどういうことでしょうか。それは天の父なる神様が、わたしたちのことを愛してくださる、大切にしてくださるということです。それを聖霊による導きによって、わたしたちが実感することができる。そのことを主イエス・キリストはここで約束してくださっています。わたしたちは日々、様々な出来事が起こり、不安な気持ちに満たされたりすることもありますけれども、しかし聖霊なる神様が、わたしたちのところに来てくださって、神の平和をわたしたちに実感させてくださるのです。そのことを信じて、困難の中にあっても、希望を持って、歩むことができるように祈り求めてまいりりたいと思うのです。

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