V 【説教】2022年5月8日

2022.5.8 復活節第四主日礼拝
詩編 第100篇1〜5節
使徒言行録 第13章14、48〜52節
ヨハネによる福音書 第10章22〜30節 
                          

「主はまことの羊飼い」

本日は、ヨハネによる福音書を中心に、み言葉に聴いてまいりましょう。  主イエス・キリストは、エルサレムで神殿奉献記念祭という祭りが行われておりますときに、神殿の境内で回廊を歩いておられました。そうすると、「ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。」とありますが、これはおそらく、律法学者やファリサイ派の人たちであったろうと思われます。24節には、「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」とあります。「このイスラエルの各地で奇跡を行い、神の教えを宣べ伝えていたこのイエスという男は、一体何者なのか」とこのユダヤ人たち、律法学者やファリサイ派の人たちが、主イエスのことをとても気にしておりまして、主イエスに直接問いただしたのです。そうしますと、イエス・キリストは、直接そのことに対して、お答えにはなりませんで、25節にありますが、「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。」と、おっしゃっています。

 これまでイエス・キリストが、数々の奇跡をなさり、そして、ある人たちにはご自分が神の子である、そして救い主であるということを、おっしゃっていたのです。そして、その奇跡を行っているその奇跡の意味が、わたしこそ神の子であり、救い主であるということであるのは、イエス・キリストを信じている人ならば、そのことはわかるはずだと主イエスはこのユダヤ人たちに話したわけです。

 ここに羊のことが出てまいります。本日皆さんと聴いてまいります前のところで、「わたしは良い羊飼いである。」(11節)と主イエスはおっしゃっています。わたしの羊であるならば、羊飼いであるわたしの呼ぶ声に聞き従うはずである。わたしこそ良い羊飼いである。そしてそれを信じる者たちこそ、その羊である。羊である者たちには、永遠の命が与えられるとイエス・キリストはおっしゃるのです。

 羊という動物は、とても弱い動物です。群であちらこちらと移動するのです。皆さんもテレビや写真などで、羊の群れを引いている羊飼いと羊の群れをご覧になったことがあると思います。日本ではなかなか見られない光景なのですけれども、今でも中東においては、よく見られる光景です。羊というのは弱い存在で、群れで生きています。とても弱い動物ですので、一匹では、生きていくことができません。群れからはぐれますと、オオカミなどの野獣の餌食になってしまいます。羊飼いの導きによって、群れで行動し、水場に導いてもらって水を飲み、草を食む、オオカミなどの野獣の襲撃があれば、羊飼いが守ってくれる。そのようにして、羊は弱いものですけれども、群れで生きていくことができるのです。

 羊飼いの仕事は、とても大変な仕事です。寒い夜も羊とともに夜を過ごします。いつ何時、野獣の襲撃に遭うかもわかりませんので、とても寒い夜も、羊と寝起きを共にしています。そして羊飼いは、群れの羊一匹一匹に名前をつけて、大切に愛情を注いで育てています。16節にありますけれども、「その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」とあります。一匹一匹の羊は、羊飼いによって、それぞれ名前をつけてもらって、名前を呼ばれるのです。そしてその羊飼いの守りと導きによって弱い羊は生きていくことができます。羊飼いは羊を愛し、羊飼いの声を聞き分けるのです。羊飼いは、羊の一匹一匹の名前を呼んで、羊のその性格もよく知っております。彼らを導くのです。そのようにわたしたちとイエス・キリストとの関係が、羊飼いと羊の関係に譬えられているのです。そのことが、この27節にありますけれども、「わたしの羊は、わたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」という箇所の意味なのです。  その羊に対して、イエス・キリストは永遠の命を与えると、おっしゃっています。この今日の前のところですけれども、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(11節)とイエス・キリストはおっしゃっています。それはわたしたちの救いのために、十字架にかかって死んでくださった。そのことを示しています。羊のためには命を捨てるほど、その羊を愛している羊飼いです。そして、その羊に対してイエス・キリストは永遠の命を与えてくださる。そのことを、きょうのところで約束してくださっているのです。

 また、主イエスは30節にありますが、「わたしと父とは一つである。」とおっしゃいます。わたしの羊であるあなたたち、それは同時に天の父なる神様の羊、天の父なる神様のものでもあるということです。わたしたちは、誠に畏れ多いことに、天の父なる神様のものでもあり、イエス・キリストのものでもあるのです。

 わたしたちが信仰の弱いものであっても、多くの罪を犯してしまうものであっても、わたしたちを羊として、選んでくださっておりご自分のものとしてくださっているのです。多くの罪を犯してしまうわたしたちでも、天の父なる神様とイエス・キリストは、わたしたちをご自分の羊としてくださるのです。そのことをわたしたちは、しっかりと心に留めることによって、たとえ死の陰の谷を行くときも、災いを恐れず、平安のうちに、人生の困難な道のりを歩んでいくことができるのです(詩編23篇)。このコロナ・ウイルスの禍の中にあっても、平安のうちに、歩むことができるのです。わたしたちのために命を捨ててくださった、良い羊飼いであられるイエス・キリストにどこまでもお従いしていく者たちとなれるように祈り求めてまいりましょう。

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