2021.4.11.主日礼拝
    詩編 第88篇1〜19節、ルカによる福音書 第24章13〜27節

「共に歩くイエス」

 きょうの聖書の箇所は、「ちょうどこの日」と始まります。「この日」つまり主イエスの復活の日、主イエスの十字架の死から三日目の週の初めの日です。二人の弟子が、エルサレムからエマオという村へ向かって歩いて行きました。「弟子」とあるのですから、彼らは主イエスに従ってきた人々です。その二人の弟子が、その後エルサレムを離れ、エマオという村へと向かったのです。何のためにエマオへ向かったのか、それは分かりません。大事なことは、彼らがエルサレムを離れようとしていた、ということです。主イエスが十字架につけられて死んだエルサレム、そして今朝婦人たちがその復活を告げる言葉を天使から聞いた、そのエルサレムを彼らは離れて行こうとしていたのです。彼らは歩きながら「この一切の出来事について話し合って」いました。「この一切の出来事」それは19節以下に語られているように、「ナザレのイエスのこと」です。自分たちが信じて従ってきた主イエスが捕えられ、十字架につけられて殺されてしまったこと、ところが今朝、その墓から遺体が無くなっているのを婦人たちが見つけ、天使が彼女らに「主イエスは復活して生きておられる」と告げたこと、それらのことについて彼らは話をしていたのです。

 するとそこにいつのまにか一人の人が近づいて来て、一緒に歩き始めました。その人こそ、復活した主イエス・キリストご自身でした。しかし「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」。今その方のことを熱心に話し合っている、当の主イエスが目の前に現れたのに、彼らにはそれが分からなかったのです。復活した主イエスがかたわらを共に歩いておられるのに、目が遮られていてそのことに気付かなかったのです。

 共に歩いているその人は、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と尋ねました。すると「二人は暗い顔をして立ち止ま」りました。クレオパは、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と言いました。「お見受けしたところ、あなたもエルサレムから来られたようだが、この数日そこで起こったあんなに大きな出来事を知らないのですか。あなたは何を見ていたんですか」、目が遮られている彼がそのように言ったのです。

 けれども彼らはこの後、主イエスが復活して生きておられること、いつも共にいてくださることを確信するに至りました。そして主イエスのことを全世界に宣べ伝える働きをしていきました。そういう大きな転換が彼らに起ったのです。それは、復活した主イエスご自身が彼らに出会ってくださったことによって起った転換だったのです。そのことを語っている28節以下は来週の礼拝において読みたいと思います。しかし本日の27節までの所がすでに私たちにはっきりと示し、語ってくれていることがあります。それは、主イエスの復活の知らせを聞いてもそれを信じることができず、それゆえに希望を打ち砕かれた絶望の中で暗い顔をして論じ合いつつエルサレムを離れ去ろうとして歩いているこの二人の弟子たちのかたわらに、復活なさった主イエスが近付き、共に歩いておられるということです。彼らは目が遮られていて分からなかったけれども、復活して生きておられる主イエスが、すでに共に歩んでくださっていたのです。彼らの姿が私たち自身の姿であるならば、このことも私たちに起っているのです。

 私たちのかたわらに来てくださっている主イエスは、二人の弟子に問いかけたように私たちにも、「あなたがたは何を話しているのですか。何を悲しみ、苦しんでいるのですか」と問いかけてくださるのです。私たちはその問いに答えて、自分の思いを、悲しみ苦しみを語っていくのです。主イエスはその私たちの思いを忍耐強く聞き取ってくださいます。しかしただ聞くだけではなく、主イエスは私たちを教え諭してくださるのです。それが25節以下に語られていることです。「そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」。主イエスは、聖書を説き明かしてくださるのです。「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」。つまり、聖書、この場合にはもちろん旧約聖書ですが、その全体にわたって、主イエスによって成し遂げられることになっている救いの御業が語られていることを、具体的には、「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだった」ということを、示し教えてくださったのです。彼らは、主イエスご自身によるこの聖書の説き明かしを、つまり説教を聞いたのです。  復活して今も生きておられる主イエスは、私たちのかたわらにすでに来てくださっており、共に歩んでくださっています。そして私たちに語りかけ、聖書を説き明かし、主イエスの十字架と復活によって成し遂げられた神様の救いの御業を教えてくださっているのです。そのようにして、私たちの遮られている目が、主イエスによって開かれて、生きて共におられる主イエスに気付くことができるようにと祈り求めつつ、日々歩んでいきたいと思います。

天の父なる神様

 復活の主が私たちと共にいてくださり、わたしたちを支えお守りくださっていることを信じて、希望を持って歩める者たちとさせてくださいますように。

 この祈りを救い主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン                                  閉じる