2021.4.4.イースター礼拝
    イザヤ書 第53章11〜12節、ルカによる福音書 第24章1〜12節

「復活なさったのだ」

 きょうはイースターです。主イエス・キリストが、十字架で死なれ復活なさったことを記念する祝日です。

 きょうの聖書の箇所の始めに登場するのは、主イエスがそのご生涯においてほとんどの時間をお過ごしになったガリラヤ地方から主イエスと共にやって来た婦人たちです。彼女たちは弟子たちと共に主イエスの伝道旅行に同行していました。

 主イエスが十字架の上で死なれ、墓に入れられたあと、二日後に婦人たちはその墓に向かいました。彼女たちが墓に着いたとき、驚いたことに墓の入り口にあった大きな石が墓の脇に転がされてあったのです。彼女たちが恐る恐る墓の中に入ってみると、あるはずの主の遺体はそこにはありませんでした。彼女たちはこのことをどう理解したらよいのかわかりませんでした。そうしたらそこに、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた(4節)のです。婦人たちはとても驚き、恐れおののいて地面に顔を伏せてしまいました。彼らは神の御使い、天使でした。天使たちは婦人たちに言いました。5節から7節をご覧ください。

 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

 彼女たちは主イエスの遺体、亡骸のことしか頭にありませんでした。主の遺体に香油を塗って、布で巻いて手厚く葬ろうということばかり考えていました。生前の主のお姿を偲んで婦人たちは悲しみを新たにしたかったのです。彼女たちは遺体を大切にし、主イエスが死んだあと、「死者の中に主イエスを捜」そうとしていたのです。しかし、ある意味それは無理もないことでした。主イエスが以前ご自分が殺されて復活することを予告なさっておりましたが、彼女たちにはそのときにはその意味が理解できなかったのです。しかし、彼女たちは天使たちから主が復活なさって生きておられることを示され、主が以前おっしゃっていたことを思い出し、復活の意味がわかったのです。彼女たちは主のご復活を信じる者に変えられたのです。

   それでは、彼女たちは主のご復活を確信させられて、その後どうしたのでしょうか。9節に そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせたとあります。ここで使われている「知らせた」という言葉は宗教改革者ルターによって「宣教する」と訳されています。彼女たちは男の弟子たちに先んじて、信仰の核心とも言える一番大切な出来事を最初に伝える者となったのです。9節から11節をご覧ください。

 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。

 10節にあります「使徒たちに話したが」とは、直訳すると「使徒たちに何度も話したが」となります。主イエスが復活なさったということを婦人たちが何度話しても男の弟子たちにとってその話が「たわ言」にしか思えなかったとあります。使徒たちは彼女たちの話を信じることができませんでした。しかし、わたしたちは彼らのことを芝居か何かを見る観客のような立場で見ていないでしょうか。この弟子の姿はわたしたちとは違うと言えるでしょうか。わたしたちは、「証明できるものだけを信じる」という考えに囚われていないでしょうか。聖書における奇跡一般にも言えることですが、主イエスがなさった奇跡の出来事、病人を癒したり、嵐を鎮めたりということは、歴史的に客観的に証明できるものではありません。そこにはどうしても信じると言う要素が入ってきます。しかし、かといってカルト宗教のように頭ごなしにむやみに盲信することではないのです。  それではわたしたちは、主イエス・キリストのご復活をどうすれば信じることができるのでしょうか。それは神様の御言葉を聴くことによってです。マグダラのマリヤたちが主イエスがおっしゃった御言葉、人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっているとおっしゃったお言葉を初めとして主イエスから聴いてきた御言葉の数々を改めて思い起こし、復活の信仰を与えられたように、わたしたちもまた神の御言葉に聴くことによって「主はいまも生きておられる」という信仰が与えられるのです。それは新約聖書ローマの信徒への手紙10章17節に「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」とある通りです。

 主イエスは、十字架で死なれそこから復活なさったのです。主イエスはわたしたちの罪のすべてを背負って死んでくださり、復活なさいました。そのことによってわたしたちに罪の赦しが与えられ、そのことを信じる者に新しい命をお与えになるのです。わたしたちはいま主の復活をお祝いするイースター礼拝をお献げしていますが、毎週の礼拝もまた「小さなイースター礼拝」と呼べるものです。毎週の礼拝は「小イースター」とも呼ばれています。天の父なる神様が主日の礼拝において、土曜日までのわたしたちの様々な罪の汚れを洗いきよめてくださいます。そこでわたしたちは新しい命を与えられて日曜から始まる一週間を生きるのです。十字架で死なれ、復活なさった御方がいつもわたしたちと共にいてくださって、わたしたちの歩みを支えお守りくださることを信じて歩むことができるのです。

天の父なる神様

 どうかわたしたちに、主のご復活を信じる信仰をお与えください。わたしたちが、主がいつもわたしたちと共にいてくださってわたしたちを支えお守りくださることを確信して、希望を持ってこれからの日々を歩むことができるようにしてください。この祈りを救い主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。   アーメン

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