2021.2.14.主日礼拝
    詩編 第103篇1〜22節、ルカによる福音書 第22章63〜71節

「神の子イエス」

 主イエスは、そのご生涯において神の教えを宣べ伝え、数々の奇跡を行なわれました。それらのことを歓迎して、喜んで受け入れていた人たちは大勢いたのですが、一方でそのような主イエスに大きな反感を抱き、主イエスを亡き者にしようとその機会をねらっていた人たちがおりました。それは、祭司長や律法学者と呼ばれる人たちでした。彼らにその機会はなかなか訪れませんでしたが、ついに彼らは、主イエスをオリーブ山のゲッセマネの園と呼ばれるところで、捕らえ、翌日に主イエスを裁判にかけることができました。 祭司長たちは、最高法院という議会にあたるところに主イエスを連れて行って主イエスを裁判にかけたのです。

 ここに出てまいります「最高法院」というのは、ユダヤ人の宗教生活の監督がおもな役割でした。神の教えに反するような宗教上の違反があれば刑罰が下されました。たとえば神を冒涜するなどの重い罪は、それ相応の重い刑罰が下されました。本来であれば神を冒涜すればユダヤ教の掟では死刑に処せられましたが、当時死刑の執行に関する事柄は、イスラエルを支配していたローマ帝国の権限でした。彼らは裁判で、主イエスから法律に違反する重大な供述を引き出して、主イエスをローマ帝国の総督に引き渡して、主を裁いてもらいなんとか死刑にしようとしたのです。

 67節にありますように、祭司長たちは、「お前はメシアか」と問います。「メシア」とは、救い主を意味します。民衆の思いとしては、当時「メシア」とはローマ帝国の支配からユダヤ人を解放してくれる政治的な救い主のことでした。主イエスはそのように誤解されることを恐れて、祭司長たちにはっきりとはお答えになりませんでした。

 主イエスは69節にありますように「しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る」とおっしゃいました。「神の右に座る」とは、神を補佐する者ということですから、神にかなり近しい者という意味です。それで、70節で祭司長たちは「では、お前は神の子か」と問いました。それに対して主は「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」とお答えになりました。ここのところは口語訳聖書では「あなたがたの言う通りである」となっています。これは「わたしは神の子である」という意味なのです。

 主イエスになされたこの問い、「では、お前は神の子か」という問いはとても大切な問いです。彼らはこの問いの深い意味も知らずに、主イエスを死刑にするために、発したのですが、「お前は誰なのか」「イエスという御方はどのような御方なのか」「イエスとは誰なのか」という問いは信仰者にとってとても大切な問いです。その問いはわたしたちが主イエスから問われる問い、質問でもあるのです。この問いを問われるのは実はわたしたち自身なのです。

 マタイによる福音書16章13〜16節には主イエスと弟子たちとの問答があります。ここで主イエスが弟子たちに「人々はわたしを何者だと言うのか」と質問なさいました。弟子たちは「洗礼者や預言者だと言っています」と答えました。ヨハネは民衆に悔い改めの洗礼を授けた人であり、エリヤやエレミヤは偉大な預言者です。弟子たちの答えを聴いた後で、主イエスが弟子たちに更に「それではあなたがたはわたしを何者だと言うのか」と質問なさいました。ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたのです。ペトロは正しく答えました。この問いは、十二弟子たちだけになされたのではなく、イエス・キリストの弟子であるわたしたちにもなされています。「イエスとは何者か」という問いです。しかし、わたしたちはペトロのように「あなたこそ生ける神の子キリストです」といつもわたしたちはお答えすることができているでしょうか。主イエスをわたしたちのためにいま生きて働いておられる救い主とは見ないで、ただの過去の立派な偉人くらいにしか見ていないということがないでしょうか。

 信仰者にとって大切なことは、イエスをメシア、救い主、キリストとして信じることです。イエス・キリストは、単なる名前ではありません。「イエス・キリスト」とは「イエスを救い主として信じる」という意味なのです。キリストを信じるとは、イエスという過去に立派な人がいて、その人が唱えた教えを信じるということではありません。イエス・キリストは、今から約2000年前に十字架につけられ殺されましたが、三日目に復活なさって、わたしたちとともにいてくださいます。そして、わたしたちを救ってくださっているのです。わたしたちは、特に苦しいこと困難な状況にあるときに、自分の力により頼むのではなく、その問題の解決をイエス・キリストに祈り願うのです。主イエスにすべてをゆだねるのです。主イエス・キリストはわたしたちの祈り願いを必ず聴いてくださり、わたしたちにとってもっともふさわしい解決の道を備えてくださいます。

 イエス・キリストは天の父なる神様の愛する御子であられます。主イエスは、わたしたちの救いのためにこの世に遣わされました。天の父なる神様はその愛する御子を十字架にかけ、死んだ後に復活させることによって、わたしたちの罪を赦してくださり、わたしたちに復活の命、永遠の命に生きる希望をお与えくださいました。神様が大きな犠牲をはらってくださることによりわたしたちに救いが与えられたのです。神様が主イエスを復活させてくださったことにより、主が2000年という時を超えて、いつもわたしたちとともにいてくださり、わたしたちを救ってくださるようにしてくださったのです。

 「では、お前は神の子か」という問いをわたしたちが主イエスに向かって発するとき、それに対して主イエスは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」といつも問われています。わたしたちは、主の前に立ち、「あなたこそメシア、生ける神の子キリストです」との信仰を言い表し、悔い改めて、全てを主にお委ねし、主にお従いして行く者となれるように祈り求めてまいりたいと思うのです。

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