2020.6.28.主日礼拝
 詩編 第98篇1〜5節、ルカによる福音書 第17章20〜21節

「神の国はどこにあるのか」

        きょうの聖書の箇所は、わずか2節ですがとても大切なことが凝縮されています。

 ファリサイ派の人々が「神の国はいつ来るのか」と主イエスに尋ねたとあります。「神の国」とはなんでしょうか。「国」というからには、場所とか地理的な範囲、領土のことを指しているのでしょうか。そうではなくこれはもともと「神のご支配」ということを意味しています。「王としての神様のご支配」のことです。国境で区切られた領土的な意味での「国」ではなく、支配ということです。

 ここでファリサイ派の人々がそれは「いつ来るのか」と尋ねているということは、彼らはそれが「まだ来ていない」と考えているのです。当時イスラエルの国はローマ帝国に支配されていました。神の民イスラエルが異邦人・異教徒であるローマ人に支配されているということはとても屈辱的なことでした。ファリサイ派の人々は、このような隷属的な状態から神様が解放してくださる、救ってくださることを信じていました。彼らはいつ神のご支配が始まって、ローマ帝国の支配が打ち破られ、イスラエルの民に救いが訪れるのか、いつ神のご支配がもたらされるのかと主イエスに問うたのです。

20〜21節をご覧ください。

 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 主イエスは、実に、神の国はあなたがたの間にあるのだとおっしゃいました。もうすでに神の国は来ている。どこに。「あなたがたの間に」とおっしゃいました。

 ここのところは、口語訳聖書では「神の国はあなたがたのただ中にある」、文語訳聖書では「神の国は汝らの中(うち)にあるなり」と訳されていました。文語訳聖書のように訳しますと、「神の国はわたしたち一人一人の心の中にある」と読めてしまいそうです。 それではなぜここで「神の国はあなたがたの中に内側にある」と訳さないで、「間にある」と訳されているのでしょうか。

 その理由は何か。その理由を考える際に考えたいのが、主イエスに質問したのが、弟子たちではなくファリサイ派の人々だったということです。ファリサイ派の人々は、律法学者と共に新約聖書にはたくさんの場面で出て来ます。彼らは主イエスに批判的であり、主イエスと敵対し、主イエスをわなにはめようとし、遂には十字架にまで追いやった人たちです。そのような人たちの心の中に、神の国があるとはとても言えないのではないでしょうか。ここでは「あなたがた一人一人の中に、内側に」と主がおっしゃったのではないことに注意したいと思います。直訳しますと「あなたがたの中に」とおっしゃっているのです。口語訳聖書では「神の国はあなたがたのただ中にある」と訳されていますから、このほうがより原文に近いと思われます。しかし、それですとあたかも「あなたの心の内側に」という風に誤解されてしまう恐れもあるので、より意味を正確に表すために新共同訳聖書では「あなたがたの間」と訳したのです。ファリサイ派であるあなたがたの間にも神の国はあるのだ。神様がわたしにおいて神の国を実現してくださっているのだ。あなたがたの間にわたしがいるということはそういうことだ。あなたがたの間に神の国は既に来ており、神のご支配が実現しているのだと主イエスはおっしゃったのです。それでは神の国はより具体的にはいまどこに来ているのでしょうか。 それはまず第一に教会です。

 神の民の群れである教会において神の国は始まっています。神の国は来ています。神様は、イエス・キリストにおいて神の国の到来を教会において実現してくださいました。しかし、それを確かなものにしてくださるために天の父なる神様は大きな御業をなさいました。それが愛する御子イエス・キリストを十字架にかけられるということでした。そのことによってわたしたちの罪が赦されました。さらにその愛する御子を復活させ給いました。そのことによってわたしたちに永遠の命に生きる道が与えられました。特にわたしたちはそのことを毎週の礼拝の度ごとに、御言葉の説教によって確かめることができ、神の国の福音を聴き、神の民として神の国の到来を、神のご支配を確信することができるのです。そのようにして主イエスがわたしたちの間にあって共にいてくださることを確信することができるのです。

 そして神の国が来ている第二の場所、それはこの世、この世界です。教会も属しているこの世界全体です。主イエスは、弟子たちにではなくファリサイ派の人々に対して、「神の国はあなたがたの間にある」とおっしゃいました。ファリサイ派の人々は主イエスに敵対していた人たちであり、これからのち主を十字架につけるために、画策し実行した人たちです。そのような人たちの間にさえも神の国はあるとおっしゃったのはなぜなのでしょうか。主はこの世のどんなところにも、闇のような場所にさえ、神の国は来ている、神のご支配は始まっているということをおっしゃりたかったのです。

 神の国は、いまわたしたちの間に実現していますが、いつか目に見える形でイエス・キリストが再びこの世に来られる日が来ます。その日は終わりの日であり、そのとき神の国が完成されます。神を信じるわたしたちには、その時に、先に召された人たちとともにわたしたちもまたよみがえらされ、永遠の命に生きる希望が与えられております。わたしたちは、そのときには目に見える形で神の国が完成されることを見ることができます。その日にはすべての悲しみや苦しみがなくなり、すべての涙を神様がぬぐってくださいます。そのとき新しい天と新しい地が造られます。そのときまで、目には見えませんがイエス・キリストがわたしたちと共にいてくださることにおいて、神の国がわたしたちの間にあり続けるのです。わたしたちは、そのことを信じて希望をもって歩んでまいりたいと思うのです。

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