2019.11.24.
   イザヤ書 第49章22〜26節 、ルカによる福音書 第11章14〜23節

「もっと強い者」

 本日ご一緒に読みますルカによる福音書第11章14節以下には、主イエスが悪霊を追い出されたことが語られています。

ここで主イエスはそのことについてある人たちと論争しておられるのですが、その論争において主イエスは大切なことを宣言しておられます。それは、「あなたがたは今激しい戦いが行われている戦場の真ん中にいるのだ」ということです。その戦いとは、神様とサタンとの戦いです。しかもそれは局地的な小競り合いではありません。神の国とサタンの国の、滅ぼすか滅ぼされるかの全面戦争、総力戦です。ここに出てくる「国」という言葉は「支配」という意味です。神の国は神様のご支配、サタンの国はサタンの支配です。神様とサタン、どちらの支配が確立するのか。あなたがたはその決戦場にいるのだ、と主イエスは告げておられるのです。主イエスがある人から悪霊を追放したという御業は、その戦いにおいて、一人の人が悪霊の支配から神様の支配へと取り戻されたということです。悪霊とサタンとは区別して考えなくてもよいでしょう。いずれも、神様に敵対し、その恵みから私たちを引き離そうとする力です。一人一人に取り付き支配するそのような力が「悪霊」と呼ばれているのです。私たち一人一人が、神様とサタンの戦いの戦場なのであり、主イエスと悪霊とが私たちをめぐって戦っているのです。その戦場において、私たちは暢気な傍観者でいることはできません。悪霊は、少しでも隙があれば、私たちを虜にし、支配下に置こうと狙っているのです。いやもう既に悪霊が私たちを支配してしまっているのではないでしょうか。

 21節に出てくる、「武装して自分の屋敷を守っている」「強い人」とは誰のことでしょうか。それはサタンです。サタンが十分に武装して自分の屋敷を、あるいは城を守っているのです。そうである限り、サタンの持ち物、サタンが自分の支配下に置いているものは安全です。安全であるというのはサタンにとって安全なのであって、つまりそれらはサタンの支配からぬけ出すことはできないのです。しかし22節には、「もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する」とあります。その「もっと強い者」とは、主イエス・キリストのことです。主イエスが、サタンの城を襲撃し、サタンを武装解除してその城の中にあるサタンの持ち物を略奪し、分捕り品とするのです。このたとえはそのように、サタンに対する主イエスの戦いと勝利を描いているのです。

 この主イエスの戦いにおいて、私たちはどこにいるのでしょうか。サタンの城を攻撃する主イエスの軍勢の兵卒として勇敢に戦っているのでしょうか。そうではありません。このたとえにおいて私たちのことを語っているのは、サタンのもとに置かれている「持ち物」であり、サタンに勝利した主イエスによって略奪され、主イエスのものとなった「分捕り品」です。私たちは、主イエスと共にサタンと戦っていると言うよりも、既にサタンの虜になり、悪霊の支配下に捕えられてしまっているのです。その私たちを、主イエスがサタンよりも「もっと強い者」としてサタンに勝利し武装解除することによって救い出し、ご自分のものとして下さったのです。サタンとの決定的な戦いは既に主イエスによって戦われ、主イエスの勝利に終っているのです。神の国はサタンの国に既に勝利しており、私たちはサタンの支配から神様のご支配の下へと移されているのです。

 このようにサタンとの戦いにおいて主イエスが既に決定的に勝利しておられるのですが、しかし、その勝利は、本日の箇所の、口を利けなくする悪霊の追放によって実現したわけではありません。その決定的戦いは、主イエスのご生涯全体において戦われたのであって、その最後の山場は十字架の死と復活です。わたしたちは、神様をも隣人をも、愛するよりも憎んでしまう罪の中にあり、悪霊の虜となって、語るべき言葉を失い、神様とも隣人とも良い交わりを失っています。神様の独り子であられる主イエスは、その私たちの罪を全て背負って、十字架の苦しみと死とを引き受けて下さいました。主イエスが十字架につけられて殺されたことによって、神様に敵対するサタンの力が勝利したかのように見えます。しかし主イエスはまさにそのことによって、サタンが強力な武装をして守っている城に捕えられてしまっている私たちのところにまで来て下さったのです。そして父なる神様は、死の力を打ち破って主イエスを復活させ、新しい命と体とを与えて下さったのです。復活された主イエスは、サタンの武具を全て奪い取り、そこに捕えられていた私たちを分捕り品としてサタンから奪い、その支配から解放して下さったのです。サタンに対する主イエスの決定的勝利はこの十字架の死と復活とによって実現しています。本日の箇所の奇跡も含めて、主イエスの御業は全てこの十字架と復活による勝利を指し示しているものです。神の国、神様のご支配は、主イエスの十字架と復活とによって私たちのところに来ているのです。私たちは主イエスが十字架と復活によって得て下さった決定的勝利の後の、しかしなお世の終わりまで続いていくサタンとの戦いへと招かれているのです。既に主イエスの、神様の勝利は決定的となっています。私たちを、またこの世界を支配しているのは、サタン、悪霊ではなくて、主イエスの父である神様なのです。その神様のご支配があらわになり、完成する終わりの日を待ち望みつつ、私たちは主イエスと共に戦っていくのです。                          閉じる