2019.10.27. 秋の特別伝道集会
   マタイによる福音書第19章16〜30節

「永遠の命を得るには」

 今回の特別伝道集会の説教題を「永遠の命を得るには」としました。この題は、本日の聖書の箇所、マタイによる福音書第19章16節で、一人の青年がイエス・キリストに質問した言葉から取ったものです。この青年は、永遠の命を得たいと思って、「どんな善いことをすればよいのでしょうか」と主イエスに質問しましたが、彼が問うている、「どんな善いことをすればよいのか」ということは、私たちもいつも求めている、知りたいと願っていることなのではないでしょうか。「どんな善いことをすればよいのか」、それは言い換えれば、どのように生きたらよいのか、ということです。死んだ後のことはあまり考えない私たちも、今のこの自分の人生をより良いものにしたい、より充実した、幸せな、意味あるものにしたい、ということはいつも考えています。そのためにはどうしたらよいのか、ということは私たちの人生の最大の問題と言ってよいのです。そしてこのことを少しでも本気で考え、本当に意味ある充実した人生を送りたいと思う人は誰でも、この青年と同じように、「どんな善いことをしたらよいのか」と思うのです。この人生を本当に価値のある、有意義な、充実したものとするためには、「善いこと」をする必要がある、と誰もが思うからです。

 善いことをして生きたい、そうすればそこに、本当に良い、充実した人生が得られる、そう私たちは思っています。善いことをして生きる良い人生とはどんなものかを知るために、私たちは教会に行ってみようと思ったりするのではないでしょうか。それはこの青年が「どんな善いことをすればよいのか」という問いをもってイエス・キリストのところに来たのと同じです。この青年の姿は、教会の礼拝に集っている私たちの姿を象徴していると言ってもよいでしょう。そうであるならば、主イエスが彼に答えて語られたことは、そのまま私たちへの言葉でもある、ということです。主イエスは彼の問いにどのように答えられたのでしょうか。それは、17節にありますように、「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい」。これが主イエスの答えです。「どんな善いことをすればよいのか」という彼の問いに対して、主イエスは突き放すように、「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか」とおっしゃいました。それは、そういう問い自体が間違っている、ということです。そして、「善い方はおひとりである」と言われました。ここには、「善いこと」と「善い方」との対比があります。「善いこと」ではなく、「善い方」をこそ求めるべきなのだと教えられているのです。

 ところで、21節にありますように主イエスは、この青年に対して永遠の命を得たいと思うなら全財産を売り払い、貧しい人々に与えなさいとお命じになりました。 この主イエスのお言葉によって、この青年は悲しみながら立ち去りました。主イエスがこのことによって彼に求めておられるのは、あなたが自分の拠りとし、自分の「善い行い」の結果として必死になって積み重ねているその財産を手放せ、それを全部捨て去って、何も持たない、無一物の者になれ、ということなのです。無一物になってどうやって生きていくのか。「それから、わたしに従いなさい」と言われています。主イエスに従う弟子になる、そのことへと主イエスは彼を招いておられるのです。主イエスの弟子になる、つまり信仰者となるとは、主イエスが教える善いことを行って生きる者となることではありません。そうではなくて、自分のする善いことを拠り所とするのをやめて、ただ一人の善い方であられる神様の恵みに身を委ねて生きる者となることです。自分の富、豊かさにしがみつくことをやめて、神様の善さ、つまりいつくしみと恵みに生かされ導かれる者となることです。 永遠の命は、主イエス・キリストの十字架と復活によって私たちに示され、与えられている神様の全能の力による救いにあずかり、ただ一人の善い方である神様と共に生きるところに与えられるものです。それは不老不死でもなければ、死後の魂の幸福でもありません。私たちは、限りあるこの世の命を、自分がする善いことにより頼むのではなく、それにしがみついている手を離して、イエス・キリストによって実現した神様の恵みと慈しみに身を委ね、それに支えられて歩みます。そこには、「まだ何かが欠けているのでは」という不安から解放された、本当に自由な、のびのびとした歩みが与えられます。そのようにしてわたしたちは、永遠の命を生き始めるのです。そしてこのわたしたちの地上の命が終わる時にも、神様が既に死の力を打ち破り、主イエス・キリストを復活させて下さった、その復活の命に私たちもあずからせて下さるという約束を信じて、慰めと希望の内に永遠の命に向けての一歩を踏み出すことができるのです。

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