2019.8.4.
詩編 23篇1〜6節 、 ルカによる福音書 9章7節〜17節

「主イエスとは何者か」

   きょうの聖書の箇所の冒頭に出てまいりますヘロデは、ヘロデ大王の息子でヘロデ・アンテパスという名前がフルネームです。「彼は、主イエスが各地で奇跡を行っておられることを聞いて戸惑った」と聖書に記されています。彼は少なからず動揺しつつ、このイエスという男に大いに興味をかき立てられたのです。9節に「いったい何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」とあります。ヘロデは、イエスという人にぜひ会いたいと思ったのです。実際に会って本当に奇跡を起こすことができるのか確かめたいと思ったのです。この疑問は、以前御言葉に聴きましたが、25節にも「いったいこの方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」という弟子たちの疑問をわたしたちに思い起こさせます。

場面は変わって、十二弟子たちが伝道旅行から帰ってきました。彼らはその伝道の成果を得意満面に主イエスに話して聞かせました。主イエスは彼らの疲れを癒やし、次の伝道旅行のための備えをさせるためにベトサイダという町に弟子たちと退かれたのですが、そこに群衆が押し寄せてきました。主イエスはその群衆をご覧になり、彼らに助けが必要なことを感じ取られて、神の国についてお語りになり、病で苦しんでいる人たちをお癒やしになったのです。主は、精神的肉体的に苦しみの中にあり、救いを求めていた人たちをお救いになろうとしたのです。この10節以下の話は、「5,000人の給食の話」として知られています。主イエスの奇跡の話はこの他にもいろいろあるのですが、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネによる福音書すべてに収められているのはこの「5,000人の給食の話」だけです。それだけにこの話が、福音書を書いた人たちにとってかなり印象深い話だったということがわかります。

 主イエスが群衆の人たちに、癒やしの業をなさっておられましたが、そうこうするうちに日が傾きかけ、日が暮れようとしていました。12節をご覧ください。

日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」

 弟子たちは、この群衆がこのままそこにいてもどうにも彼らの力では面倒をみることはできないと思いました。夜になれば食事のことやその日の宿のことも心配になります。いまのようにコンビニなどはありません。現代においても、例えば催し物の主催者が、人里離れたところで5,000人分の食事を用意するのは容易なことではありません。まして14節にありますように「男だけで5,000人ほどいた」ということは、女性や子供も含めれば優に一万人は越える人たちがいたということが推測できます。このまま夜になったらどうなるのでしょうか。夜が更ける前にこの群衆を解散させて彼らに自分たちで各自宿と食事を用意するようにさせないといけないと思って弟子たちは主イエスに申し出たのです。

 しかし、主イエスは弟子たちに驚くべきことを仰いました。13節「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」 弟子たちは答えました。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません。」 一万人を越える大群衆に対して「五つのパンと二匹の魚」があってもそれが一体何になるというのでしょうか。群衆が食べる分の食料をどこかで買ってくれば別ですが、そんなことは弟子たちには不可能に思われたのです。しかし、主イエスは、群衆に各自自前で食事をさせるのではなく、群衆の必要を満たしてやろうと思われたのです。そして、その食事の世話ををご自分の手から直接群衆にお与えになるのではなく、弟子たちにさせようとなさったのです。主イエスは「弟子たちに『人々を五十人ずつ組にして座らせなさい』」とお命じになりました。16節から17節にありますように、主イエスは、祈りを献げ、五つのパンと二匹の魚を裂いて弟子たちに渡して群衆に配らせて、すべての人を満腹にしてくださいました。これはどういうことでしょうか。これはまさしく奇跡なのです。このことを指してある学者は、もともと群衆の中に予め弁当かなにかそれなりの食事を用意している人たちがかなりの割合いて、その食事を皆で分けあったのではないかという説明をする人もいます。それは合理的な説明ではあります。しかし、これはそのようなことではなく「五つのパンと二匹の魚」をお用いになって主が、群衆の必要を満たされたという奇跡の出来事なのです。ここで合理的な説明をしてもあまり意味がありません。この奇跡の意味は、信仰によって受け入れるしかないのです。奇跡というものはそのようにして聖書の中で語られているのです。この話を取り上げた福音書の著者の意図は何なのでしょうか。それは、この「5,000人の給食の話」は、神の国の出来事だということです。「神の国」とは「神のご支配」のことです。「神の国」は、主イエスがこの世にお出でになったことによって始まりました。神の国においては、一万人以上の人が「五つのパンと二匹の魚」によって満腹にしてもらえるのです。主イエス・キリストは、神の国の福音を信じ、神様を信じる者を救ってくださる救い主なのです。それが、「主イエスとは何者か」という問いに対する答えなのです。  ところで、このきょうの「5,000人の給食の話」は、伝統的に昔から「聖餐式」との関連でも語られてまいりました。聖餐は、終わりの日にわたしたちが復活の主と共に与る恵みの祝宴を先取りするものです。主は、ヨハネによる福音書において「わたしは命のパンである。わたしを食べる者には永遠の命を与える」と仰ってくださいました。わたしたちは深い感謝をもってこの終わりの日の祝宴の先取りである聖餐において、主の御体であるパンと、十字架で流された血であるブドウの汁をいただくべきなのです。

                 閉じる