2019.7.14.
 詩編 119篇97〜104節 、 ルカによる福音書8章26〜39節

「人間解放」

  「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。(39節)

   主イエスの一行が嵐の中を大変な苦労をして、死ぬほどの危険な目に遭いながらもガリラヤ湖の西側から漕ぎ出して、東側の岸に到着します。一行がゲラサ人の住むところに到着すると、悪霊に取り憑かれている男が主イエスのところにやってきました。その男は28節にありますように主に対して次のように言いました。

イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」

   これは、この悪霊に取り憑かれた男自身が言ったことでしょうか。そうではありません。これは悪霊自身が言ったことです。「いと高き神の子イエス」と悪霊が言うのはなんだか変な感じがしますが、悪霊は、主イエスが神の子であられることを知っていたのです。イエスという御方が神の御子であられ、神と等しい力をお持ちであることを悪霊は知っていたのです。悪霊はなぜこのように叫んだのでしょうか。それは、29節にありますように、主イエスが汚れた霊、すなわち悪霊に対してこの男から出て行くようにとお命じになったからです。自分たちがもはやこの男の体に住み続けることができないと悟った彼らは、たくさんの豚の群れの中に入る許しを主イエスに願いました。主イエスは、それをお許しになりました。そしてきょうの箇所の33節にありますように、 「悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死」にました。 豚の中に入ったたくさんの悪霊たちは、主イエスによって滅ぼされました。こうして長い間悪霊に苦しめられてきたこの男は、主イエスによって救われました。彼は、悪霊の力から解放されたのです。彼は、主イエスに悪霊を追い出していただいたことによって、人間関係を取り戻し、社会生活に復帰する道が与えられたのです。しかし、それらよりももっとも大切なことがあります。それはこの男が、「イエスの足もとに座っていた」(35節)ということです。「主イエスの足もとに座る」ということは、主の御言葉を聴くということを意味しています。聖書の他の箇所でもこの言い方は複数箇所出てきますが、弟子たちや主を慕う女性が主の足もとで主の教えを聴いているというシーンがそれに当たります(ルカによる福音書10章39節等)。この悪霊に取りつかれていた男は、正気になっただけでなく、主の教え、神の御言葉を聴く者に変えられていたのです。いまわたしたちは礼拝の場に集い、主イエスの足もとに座って御言葉に聴いています。神の御言葉・福音を聴くことによってわたしたちは、真の意味での人間性を回復し、自分をしばっていた様々な罪の力から解放され、神様が用意してくださった救いの道を歩むことができるようになるのです。 さて、主イエスは、舟に乗ってガリラヤへ帰ろうとされました。悪霊を追い出してもらった男がお供をしたいとしきりに願ったのですが、39節にありますように「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」とおっしゃってその男を家にお帰しになったのです。主イエスは、彼に「家族への伝道」をするようにお命じになったのです。いまでもそうですが家族に伝道するということはなかなか難しいことです。しかし、主は彼に敢えてそのことをお命じになったのです。家族は、わたしたちの振る舞いをみています。わたしたちが教会の礼拝に行き、御言葉に聴いて、その生活がどのように変わったかを見ているのです。その振る舞いが家族を信仰へと導いて行くのです。わたしたちが、神様を信じて、救われていることに喜びを感じその喜びが、内側からにじみ出して、世の光として生きることによって家族だけではなく、周りの人を信仰に導くきっかけとなっていくのです(ペトロの手紙一2章12節)。

39節の最後に「その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた」とあります。この「言い広めた」という言葉は、もともと宣教する、伝道する、説教すると言う意味の言葉です。この悪霊にとりつかれていた男は、異教の地で最初の伝道者となりました。神の救いを証する伝道者となりました。わたしたちも神様によってそうなるように召されております。 その召しにお応えしてわたしたちも神を証し、神の教えをひとりでも多くの人たちに宣べ伝えて行くことができるように祈り求めてまいりたいと思うのです。

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