2019.6.23.
アモス書 8章9〜12節 、ルカによる福音書 8章16〜18節

「どう聞くべきか」

  きょうの聖書の箇所では、譬え話が続きます。「ともし火」という言葉が出て来ます。ここで「ともし火」という言葉が出てくるのはいささか唐突な感じを受けます。しかし、文脈から考えると、ここは「神の御言葉」に関することではないかと想像できます。それは18節で「だから、どう聞くべきかに注意しなさい」と主が仰っていることからも、ともし火が神の御言葉のことを表しているということが明らかです。ともし火というのは、ランプのことです。主イエスが生きておられた時代は、ともし火・ランプは、部屋を明るくするための照明として使われておりました。ともし火というからには、周りを明るく照らすものです。旧約聖書の詩編119篇105節には、次のように記されています。「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」

 きょうの聖書の箇所で主イエスは、「ともし火すなわち神の御言葉、福音は、隠されるべきものではないとおっしゃっています」(16〜17節)。これは何を意味するのでしょうか。主イエスは、10節で「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、その他の人々には譬えで語る」とおっしゃっていました。弟子たちには、御言葉の意味(「神の国の秘密」)が明らかにされました。しかし、御言葉の意味はわたしたちにはすぐにはわからないものです。

 それでは、わかるようになるにはどうすればよいのでしょうか。18節にありますように「だから、どう聞くかに注意しなさい」と主イエスはおっしゃるのです。どうすれば御言葉がよくわかるようになるのか、どうすれば御言葉がわたしたちの道の光となるのか。どうすれば御言葉を光として見ることができるのでしょうか。それは、「何が正しい御言葉の聞き方なのか」ということに答えがあるのです。それは、15節にありますように、「立派な善い心で御言葉に聞き、(御言葉を)よく守り、忍耐して実を結ぶ」ように聞かなければならないということなのです。それは、しっかりと御言葉に聴いてそれを保っていくこと、御言葉の教えを実践していくことなのです。御言葉の実践の大切さについて、ルカは、この福音書の各所で強調しています。たとえば、21節には、「するとイエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった」 とあります。「御言葉に聞き、それを行いなさい、実践しなさい。御言葉を聞いて『結構なお話でした』と感心するだけではダメなのだ」と主はおっしゃっているのではないでしょうか。御言葉を聞いて行う者は、洪水が押し寄せても倒れることはないと主は、ルカによる福音書6章でお語りになっています。御言葉を聞いて、行う者は、御言葉の光に照らされ、御言葉がわたしたちの行く道の光となってわたしたちを守り、救いの道へと導いてくださるのです。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書8章12節)。ここで言われております「わたしに従う」という行為が、「御言葉に聞いて、御言葉を行う」ということなのです。

 わたしたちは、御言葉に正しく聞いて、御言葉を実践し、御言葉の光に照らされて希望を持って歩むことができるように祈り求めてまいりましょう。

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