2019.6.2.
詩編 126篇1〜6節 、  ルカによる福音書 8章4〜15節

「信仰の実を結ぶ歩み」

  主イエス・キリストは、そのご生涯において多くの譬え話を用いて弟子たちや多くの人々に神の教えを宣べ伝えられました。きょうの話はその譬え話が中心になっています。それは、伝道旅行の最中で話されたことでした。種まきの譬えです。この譬えは、マタイによる福音書にもマルコによる福音書にも収められています。ここには四種類の土地にまかれた種があって、最終的に実を結んだのは「良い土地」に落ちた種だけだったということが語られています。主イエスは、この譬えにおける種とは、「神の御言葉」だとおっしゃいます。その種がまかれた場所によって、育ち方にどのような違いが生じるかと言うことが表されているのです。四つの土地の譬えの内、最初の三つの譬えでは、せっかくまかれた種が様々な要因で結局は実を結ぶことがなく終わってしまうことが語られています。この譬え話で5節にあります「種を蒔く人」というのは、誰のことを指しているのでしょうか。それは、主イエスのことを指しています。主イエスは伝道旅行をされて、各地で多くの人に神の国の福音である神の御言葉を語られたのですが、主イエスが宣べ伝えられても、神の御言葉を聞いたすべての人がそれを受け入れて、信じ続けて行ったわけではなかったということが、この譬え話からわかります。主イエスのなさったことであっても、伝道して行くにあたって多くの困難があったのです。しかし、「最後まで希望を失うな」という意味で主イエスはこの譬え話をなさったのです。それは最後の譬えでわかります。

その最後の譬えですが、種が良い土地に落ちた場合です。立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐すればその種は実を結ぶことができると主イエスはおっしゃっています。それでは、「種が実を結ぶ」ということは何を意味しているのでしょうか。それは信仰を全するということです。神の御言葉である種がわたしたちの心にまかれて、成長していって、神を愛し、隣人を愛し、神を喜んで生きることができるようになることです。そのように御言葉の種がわたしたちの中で実を結ぶことができるようになるためには、どうすればよいのでしょうか。主イエスはこの15節にありますように、「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐す」ることが必要だとおっしゃっています。わたしたちはなかなか「立派な善い心」を持つことは簡単にはできないのですけれども、神の御言葉に信頼するときにそのような心をもって神の御言葉に聞くことができるようになるのです。その神の御言葉をよく守り、保ち続けること、忍耐することが求められています。特に信仰において忍耐していくことは大切なことなのです。それが信仰の実りをもたらすための大切な条件です。ヤコブの手紙の中に次のような一節があります。「兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです」。わたしたちは、自分の力ですべてがなんとかできるように思っていろいろなことに思いわずらってしまいます。農業では、雨が降らなければどうにもなりません。種がまかれて秋の雨、春の雨が降るまで忍耐しながら、実りがあるまで種の成長をじっと待たねばなりません。農夫には忍耐がいるのです。神の御言葉もわたしたちの心にまかれてから実りがあるまで時間がかかります。自分の力でなんとかしようとしてあせって手を出してしまうとせっかくまかれた種が実りの時を待たずに枯れてしまいます。わたしたちは生涯にわたって信仰の種を忍耐をもって育てていかねばなりません。わたしたちは、農夫の忍耐をもって、生涯をかけて神の御前に信仰の実を結ぶ歩みを全うさせていただけるように祈りつつ信仰生活を送って行きたいと思うのです。

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