2019.3.3.
詩篇 126:1〜6、 ルカによる福音書 6:12〜19

「主によって選ばれる」

そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。(12〜13節)

主イエス・キリストの弟子として12人が選ばれたということは、マタイ、マルコ、ルカによる福音書のすべてに記されています。きょうのところで主イエスは、徹夜で祈られたとあります。主は、徹夜で何を祈られたのでしょうか。16節にありますように十二人の最後に「後に裏切り者となったイスカリオテのユダ」の名前が挙げられています。主は、ユダが自分を裏切るということをご存じでした。それを承知でユダを十二弟子のひとりにお選びになったのです。主は、弟子であるユダの裏切りによって捕らえられ、十字架につけられました。この祈りは、ユダの裏切りによって捕らえられる夜に祈られた「ゲッセマネの祈り」と相通じるものがあります。主は、父なる神との間で祈りの格闘をなさったのです。主は、ゲッセマネで血の汗を流されながら祈られ、十字架につけられる道を選ばれました。

「そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。『「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(ルカによる福音書22章41〜44節)

そのようにして主は、祈りの戦いをなさり、十二弟子のなかにイスカリオテのユダをお選びになる決断をなさいました。ユダを十二弟子の中に加えるということは、主イエスにとって大きな苦しみに襲われて死ぬということを引き受けることを意味しました。それは主がゲッセマネで父なる神と祈りの格闘なさったということとほぼ同じことです。

山の上での「徹夜の祈り」のあと、主は山から下りられて平地において大勢の弟子とおびただしい民衆がユダや全土から来ているのを目の当たりになさいます(17〜18節)。主の評判がユダヤ全土にまで広がり、ティルスやシドンといった異邦人のいる遠い地まで広がっており、それぞれの地域から来たすべての人々に対して主は、神の教えを宣べられ、彼らの病をお癒やしになられました。主の救いの御業がこれまでにないほど前進したのです。このことと徹夜の祈りとは、関連があります。主が徹夜の祈りにおいて決断なさったことによって、主の救いの御業がこれまでにも増して前進したのです。これまでにも主の元には大勢の人々がやって来て、悪霊を追い出したり、病を癒やしてもらったりしましたが、ユダヤ全土から人々がやって来るということは初めてでした。その多くの人々を主はお癒やしになったのです。主の「徹夜の祈り」における父なる神との祈りの格闘の末になさった決断によって、救いの御業の前進がもたらされたのです。 きょうからレント・受難節に入ります。主の御苦しみを覚えてイースター・復活節までのときを過ごす期節です。主は、弟子の裏切りによって捕らえられ、大きな筆舌に尽くしがたい苦しみを味わわれ、死に赴かれ、復活なさいました。それは、なによりもわたしたちの救いのためでした。主は、罪深いわたしたちの罪のすべてを背負って十字架につけられ、死なれ復活なさったのです。わたしたちは、そのことの深い意味を心に刻みつつ、感謝して、このレント・受難節のときを過ごしたいと思うのです。

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