2019.2.10.
詩編 51:1〜21、 ルカによる福音書 5:27〜32

「罪人を招いてくださる御方」

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。(32節)

きょうの聖書の箇所に「徴税人」という職業の名前が出てきますが、徴税人とは、読んで字のごとく、税金を徴収する人のことです。イスラエルは、当時ローマ帝国に支配されており、ローマ帝国の植民地でした。ローマ帝国は、イスラエル人の徴税人を使って税金を集めていたのです。イスラエル人は、徴税人を忌み嫌っていました。徴税人は、規定よりも高い税金を不当に集めて利ざやを稼いでいたのです。異邦人の国であるローマ帝国のために税金を集め、異邦人と交流を持っていたのでイスラエル人は嫌われていたのです。異邦人は、律法を知らず、偶像を崇拝するなどしていたために、イスラエルの人たちは彼らを忌み嫌い、宗教的に汚れた者と見なしていました。その異邦人と交流していた徴税人は、宗教的にも汚れた者と見られていたのです。徴税人は孤独でした。徴税人はイスラエル人の共同体からも排除されておりました。そんな徴税人のひとりであるレビという人に対して、ある日、主は、「わたしに従いなさい」とおっしゃいました。レビはそれを聞いてとても喜び主イエスに従いました。彼は、かなりのお金持ちだったのでしょう。主イエスのために盛大な宴会を開きました。そこには徴税人や罪人と呼ばれる人たちが大勢いて、席に着いていたのです。その有様を見て、ファリサイ派や律法学者たちは、主イエスの弟子たちに、「なぜあなたたちは徴税人や罪人たちと食事をするのか」と尋ねました。徴税人や罪人と呼ばれる人たちと一緒の席に着くことは、宗教的な汚れを受けることを意味しており、ファリサイ派や律法学者たちにとっては考えられないことでした。彼らに対して主イエスは、おっしゃいました。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」主イエスは、「自分たち自身のことを正しいと思っているあなたたちファリサイ派や律法学者たちのためにこの世にやってきたのではない。罪人を招いて悔い改めさせるために来たのだ」とおっしゃったのです。「悔い改め」という言葉の原文での意味は、過去にしでかした悪いことを悔いて、後悔するという意味だけではなく、神に立ち返る、回心することを言います。後者の意味のほうがもともとの主要な意味です。自分が神の前に正しい者ではなく、罪深い者であることを神に告白し、神に向き直ることを言います。罪人が神に向き直るために主が招いてくださり、罪という病の状態から癒やしてくださる、救ってくださるということを主はファリサイ派や律法学者に向かっておっしゃったのです。レビは「何もかも捨てて」主に従いました。彼はなぜそのようなことができたのでしょうか。それは、主が「招いて」くださったからです。それは、レビ自身が悩んだ末に、お従いすることを決断したということではありませんでした。主が招いてくださるための何らかの功績がレビにあったからではありません。功績どころか罪深いことをしてきたにもかかわらず、恵みとしてレビを招いてくださったのです。「悔い改め」とは、神へ立ち返ることであり、究極的には、神にお従いすること、主にお従いすることです。「自分の十字架を背負ってついて来る 者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない(ルカによる福音書14章27節)。」わたしたちも罪人のひとりであり( 「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」テモテへの手紙一 1章15節) 、神に立ち返るようにいつも主に招かれています。その招きにお応えして、主の御後にどこまでもお従いする者となれるように祈り求めてまいりたいと思うのです。

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