2019.1.13.
イザヤ書 35:1〜10、 ルカによる福音書 4:38〜44

「一人一人に手をおいてくださる御方」

しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」(4章43節)

38節にありますように、礼拝のあと主イエスが、シモン、すなわちペトロの家を訪問されました。この訪問は、やや唐突な感じがしますが、シモン・ペトロは、主イエスとは以前から顔なじみだったのでしょう。礼拝のあと主イエスを招いて家族とともに神の教えについてお話を聴き、食事を共にすることになっていたのでしょう。そのペトロの家にしょうとめがいました。彼女はそのとき高熱を出して苦しんでいましたが、その家の人たちは、その病の癒やしを主にお願いします。39節で「熱を叱りつけられる」とありますが、これは奇妙な表現に思えます。しかし、この「叱りつける」という言葉と35節にありますが、悪霊に対して「『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると・・・」の中で使われている「叱る」という言葉は、原文では同じ言葉が使われています。このことからもわかる通り、ルカはペトロのしゅうとめの病の背後に悪霊の働きをみているものと考えられます。

そのあと日が暮れると、病を癒やしてもらおうと大勢の人たちが主の元にやって来ました。主は、その病人の一人一人に手をおいてお癒やしになりました。「手をおいて」の「手」は、原文では複数形ですので、もともとの意味は、「両手」です。主はわざわざ病人の一人一人に「両手をおいて」お癒やしになったのです。そこに来た全員の癒やしが終わるのに朝までかかったのです(42節)。

 42節で、朝になると、主は人里離れたところに出て行かれたとあります。主は何をしに人里離れたところに行かれたのでしょうか。主は、お祈りをしに行かれたのです。主は、よく人里離れたところでお祈りをなさいました。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1章35節)。 主は、そのご生涯でよくひとりで祈られました。人里離れたところでおひとりで集中して神に祈りをお献げになり、祈りをもって神の御旨を問おうとなさいました。主は、朝になるまで一人一人の病気の人に両手をおいて癒やされたあと、祈りをささげるために、人里離れた寂しいところに出て行かれたのです。主は、悪霊にとりつかれた人や病の中にある多くの人たちのために祈られました。主は、一人でも多くの人たちが癒やされるように祈られたのですが、ご自分の使命のことも祈られました。体の癒やしだけではなく、主は、福音を告げ知らせるという大きな任務を神からゆだねられていたのです。主は、そのゆだねられた任務をしっかりと果たすことができるようにと祈られました。これまで主は、各地で悪霊を追い出したり、病の癒やしを行って来られたので、その評判を聞きつけて、今後、主のもとに、悪霊の追放や病の癒やしを求めて大勢の人たちが来ることが予想されました。その人たちの悩み苦しみを思うとき、そのひとたちに手を差し伸べて癒やしたい、治してあげたいと思いながらも、主イエスには、多くの町に出て行って福音の宣教のつとめも果たさねばならないという使命も与えられており、病いの中にある人たちのことをあわれに思われて苦しまれたのでした。そのことについて神の助けを主は求められたのでしょう。そのように、人里離れたところで祈っておられる主イエスのところに主を探し回っている大勢の人たちがやって来ました(42節)。彼らは病の癒やしをしてもらおうとしました。しかし、主イエスには病の癒やしよりももっと大切なつとめがあったのです。それは「神の国の福音を告げ知らせる」ことだったのです。  「神の国の福音」とは、先週も御言葉に聴きましたが、18節から19節にありますように、貧しい人、虐げられている人、なにかに打ちひしがれている人、抑圧されている人たちを自由にし、解放をもたらす神の救いの喜ばしいメッセージのことです。わたしたちは、主イエスを信じ、この神の国の福音に聴くことにより、わたしたちにもまことの自由と解放が訪れる、神の国に入れられるのです。それが神の救いです。神は、わたしたちがその救いに与ることができるように、愛する御子イエス・キリストを十字架にかけられ、復活させ、わたしたちに罪の赦しを与えてくださいました。わたしたちに罪の赦しがまず与えられなければ、エデンの園で神の戒めに背いて知恵の木の実を食べてしまって以来、神との関係が損なわれてしまったわたしたちが救いの道を歩むことはできなかったのです。わたしたちの罪が赦されて、神とわたしたちとの関係が正常化されることによって、すべてを神に感謝し、神に仕え隣人に仕えて救いの道を歩むことができるようになったのです。そのことによってわたしたちにまことの自由と解放が与えられ、神の国に入れる道が開かれました。神は、わたしたち一人一人に手をおいてくださり、そのようにしてわたしたちを悩み苦しみから救い出そうとしてくださっているのです。そのことを信じて、希望を持って歩んでまいりましょう。

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