2018.12.23.
詩編98:1〜9、 ルカによる福音書 2:1〜21

                      

クリスマス礼拝

「天には栄光、地には平和」

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(13〜14節)

 洗礼者ヨハネが誕生したころ、ローマ帝国の皇帝アウグストゥスは、税金の徴収のために帝国内のすべての住民に登録をせよとの勅令くだしました。それでマリアとヨセフは、ヨセフの登録すべき町ベツレヘムへと行かなければなりませんでした。彼らが住むナザレからそこは100q以上も離れています。その旅は、身重のマリアにとってもヨセフにとってもとても辛いものだったことでしょう。皇帝アウグストゥスは、帝国内で起こっていた争いに終止符を打ち、ローマ帝国内に平和をもたらした皇帝です。それは歴史上「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)と呼ばれる状態でした。しかし、その平和は、武力によって保たれる平和に過ぎませんでした。それは、皇帝の勅令によってマリアとヨセフのような弱く、貧しい立場にいる人たちに犠牲を強いるようなそういう平和でした。「ローマの平和」の陰で、弱く貧しい者たちが苦しんでいたのです。民衆が、そのような辛く苦しい状況にあるただ中で主イエス・キリストがお生まれになったのです。

  8節以下には、羊飼いたちのところに天使が現れて、神様の栄光が彼らの周りを照らし、天使が救い主の誕生を告げ、そのことが民全体にとって大きな喜びであることを告げました。その救い主の生涯は、人類の救いのためのご生涯でした。神はこの救い主イエス・キリストによってまことの栄光を顕されたのです。その救い主イエス・キリストが、わたしたちの罪の赦しのために十字架にかかられ、復活なさることによって、わたしたちに復活の命と永遠の命に生きる道が与えられたのです。これこそが神のまことの栄光です。神は、愛する御子イエス・キリストによってご自身のまことの栄光を顕されたのです。そのことによってわたしたちに救いが与えられました。

14節にありますように、羊飼いのところに現れた天使と天の大軍は、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と神を讃美しました。神のご栄光と地の平和は密接に結びついています。人間の力だけでこの地に平和をもたらすことはできません。なぜなら人間は、すべて自分を中心に生きてしまうと言う罪の力にからめ捕られているからです。罪深いわたしたちは、この世に平和をもたらすどころか逆に対立と争いを生み出してしまうのです。それではどうすればよいのでしょうか。神のご栄光の力がわたしたちに注がれ、この地にまことの平和が実現するための器としてわたしたちが用いられることによって、この地に神のまことの平和が訪れるのです。まことの平和をもたらしてくださるのは神であり、わたしたちはまことの平和の実現のために用いられるのです。神がもたらしてくださる平和は、武力による「ローマの平和」のようなものとは、まったく逆のものです。神は、神に逆らう者たちを打ち滅ぼすことによって、わたしたちに救いを与えられるというような御方ではなく、愛する御子イエス・キリストを十字架にかけることによって救いを実行なさる御方なのです。武力によってはまことの平和が訪れることはありません。それは、これまでの人間の罪深い歴史が証明している通りです。その愚かな歴史は、いまこうしている間にも繰り返されています。人間の力だけではこの世にまことの平和を実現させることはできないのです。わたしたちは、神によって、神のまことの平和の実現のために、神の器としてこの世で働く者たちとされるのです。神は、このような罪深い欠けの多いわたしたちをもあえてお用いになって、この世にまことの平和を実現してくださるのです。

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