2018.10.7.
イザヤ書40:9〜11、 ルカによる福音書 2:8〜20

「大いなる喜びの知らせ」

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。・・・」(10〜11節)

 きょうの聖書の箇所は、イエス・キリストの誕生の場面です。この箇所は、クリスマスのページェントでよく演じられるところです。イエス・キリストは、マリアとヨセフ以外は誰にも知られることもなくお生まれになったかもしれなかったのですが、神はそのご誕生の証人として、羊飼いたちをお選びになりました。神は、社会的地位の高い人や学者ではなく当時職業的に差別されていた羊飼いたちを主の誕生の証人としてお選びになったのです。

その彼らの前に神の御使いである天使が現れて、次のように告げました。ベツレヘムできょう救い主がお生まれになったこと、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子を見つけること、これが神があなたがたへ与えられるしるしであること、このことがイスラエルの民全体に与えられる大きな喜びであることを天使は羊飼いたちに告げたのです。そして彼らは、天の大軍が天使と共に神を讃美するのを目撃しました。羊飼いたちは、天使の話を驚きながら半信半疑で聴いたのではなかったでしょうか。それでも早速ベツレヘムに出かけて行って、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し、見つけ出したのです。羊飼いたちは、ベツレヘムで飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を見つけ、天使たちの告げたことが本当のことであったということを確信しました。彼らは、天使が告げたことが最初は半信半疑だったのですが、12節にありますようにそれが間違いのないことだったということをこの「しるし」によって確信したのです。神の救いが「しるし」によって羊飼いたちに示され、それが彼らにとっての大きな喜びとなったのです。

 この話は、わたしたち信仰者の信仰生活に重なるものです。わたしたちは、神の言葉を主日礼拝で聴くことによって、神がわたしたちを守り、救ってくださっているのだという福音を与えられ、この週も困難のなかにあっても希望を失うことなく歩むことができるようにされます。神の言葉が真理だということを礼拝において、聖霊の力が働いて示されます。これらのことがわたしたちに与えられた救いの「しるし」なのです。すなわち、主日に献げられる礼拝が、神の救いの「しるし」です。礼拝において「神をあがめ」、神を「讃美しながら」自分たちの家に「帰って行」くのです(20節)。教会の交わりも神の救いの「しるし」です。「しるし」は、教会の交わりを通して現されています。もちろん教会に連なるひとり一人は、罪人であり、ときには誤解し、すれ違い、傷つけ合うこともあるでしょう。しかし、教会の交わりにおいて聖霊の力が注がれており、神の救いの「しるし」が与えられているのです。「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです(ヨハネの手紙一 4章12節)」。さらに、毎月の月初めに聖餐に与ることによって、神の救いが目に見える「しるし」として差し出されます。聖餐のパンと葡萄酒に与ることによって、神がわたしたちを救いの中に入れていてくださっていると言うことを目に見える形で味わい、神の救いを確信することができるのです。わたしたちは、礼拝と聖餐によって神の救いを確信して、イスラエルの民全体に与えられた大きな喜び(10節)に与って、わたしたちも喜びをもってこの週もこの新しい月も歩めるように祈り求めてまいりましょう。        閉じる