2018.7.1. 伝道開始100周年記念礼拝
申命記6:1〜15、 マタイによる福音書22:34〜40

「忘れてはいけない大切なこと」

「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(4、5節)

きょうのこの礼拝は、苫小牧教会の伝道開始のこと、そして先に召された、愛する人たちのことを覚えて神様にお献げする礼拝です。この教会は、いまからちょうど100年前のこの日伝道集会が持たれたことから、その歩みを始めました。もう当時のことを覚えている信者はひとりもいないのです。100年というのはかなり長い時間です。しかし、主イエスの教会の歴史は、それよりもはるかに長い2000年の歴史を持っています。この教会は、この100年の間、場所も変わり、建物も変わり、集まる人たちの顔ぶれも、牧師も変わりました。しかし、この100年の間ずっと同じことをしてきました。それは、100年前も今も変わりません。それは何でしょうか。それは、日曜日に集まって神様に礼拝をお献げして来たということです。キリストの教会全体の歴史では、2000年前から教会で礼拝が献げられて来たのです。本日わたしたちが共に覚えております、先に天に召された愛する人たちもまた、生前、わたしたちと同じように神の御前に集い、礼拝をお献げしてきたのです。神への礼拝ということで言えば、主イエスがおられた2000年前よりももっと以前から、旧約聖書の時代から献げられて来ました。そこから比べれば、礼拝の内容は、かなり変わってはきました。例えば、いまは、動物の犠牲を献げるというようなことはいたしません。しかし、その礼拝の心、精神は変わっておりません。その精神とは何でしょうか。それは本日共に聴いております申命記に記されております。4節、5節には次のように記されております。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」旧約聖書の時代から受け継いで来た礼拝の精神とは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」ということなのです。このことを、100年の間、先に天に召された多くの信仰の先達からこの教会も受け継いでまいりました。これからもこの精神を忘れずにわたしたちも歩んで行きたいと思います。

それでは、なぜ「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神様を愛する」ということが大切なのでしょうか。そのことが申命記の6章10節以下に語られております。10節から12節までをご覧ください。「あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。」この聖書の箇所において、イスラエルの民は、奴隷の家エジプトの国から導き出され、神様が約束された土地カナンにいよいよ入ろうとするところでした。神の約束がまさに実現しようとしていました。「自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない・・・」と聖書にありますように、自分たちは何もせず、神が備えてくださった恵みを受けるということがここで語られています。神様は、彼らに対して多くのものを恵みとして無償でお与えになるのです。キリストを通して与えられる神の救いも同じです。わたしたちが何か立派な行いをしたから、神様はわたしたちに恵みを、救いをお与えくださるのではありません。神がわたしたちに与えてくださる救いは、神様が愛する御子イエス・キリストを十字架にかけることによって与えてくださるものです。それは神様のわたしたちに対する無償の愛から来ることです。それでは、神の救いとは何でしょうか。それは、端的に言えば、「罪の赦しと永遠の命」です。わたしたちは、神と隣人を愛そうと思っても、神に背き、神を憎み、隣人を憎んで生きてしまう者です。そのようなわたしたちの深い罪がゆるされるために主イエス・キリストは、わたしたちに代わって十字架刑という重い刑罰を受けてくださり、わたしたちのために命を献げてくださったのです。そのことによって、神様は、わたしたちが今どのような者であっても、過去に人に言えないような深い罪を犯したことがあっても、そのままのわたしたちを受け入れ、愛してくださっているのです。そして、そのようなわたしたちに死んでも生きる永遠の命をお与えくださるのです。それが神の救いです。この救いを与えてくださった神様に感謝して生きることがなによりも大切なことなのです。わたしたちは何も努力していないのに、わたしたちのために大きな犠牲を払ってくださり、大きな救いの恵みを与えてくださる神様に感謝して生きることが大切なのです。その感謝の表れが、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神様を愛する」ための礼拝をお献げするということなのです。わたしたちは、先に召された信仰の先輩たちが培って来た礼拝の心を受け継いで、神様への礼拝を喜びをもってお献げ出来る者たちとされたいと思うのです。

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