2017.12. 24.
イザヤ書9:2〜7、 マタイによる福音書1:18〜25

「神われらと共に」

クリスマスの出来事は、私たちの罪を救うために神が御子をこの世にお遣わしになった出来事です。マリアは、乙女のままで「聖霊によって身ごも」りました(18節、20節)。それは神が人間の関わりを排除して、罪深い人類の中に一方的に介入してくださるということでした。罪深い人間は、自分の力で罪から自分を救い出すことはできません。それは、神の力によるほかはありません。神は、愛する御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、十字架にかけられることによって人間を罪の縄目から解放してくださり、救ってくださいました。キリストの誕生は、われわれ人間の救いのためでありました。神は、「神は救いである」という意味の言葉である「イエス」という名を生まれてくる子につけなさいとヨセフに命じられた。これらのことはすべて旧約の預言者イザヤによってあらかじめ預言されていたことが実現するためだったのです。「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である(23節)。」

 神は、私たちを罪から救ってくださり、いつでもどんなときでも、イエス・キリストにおいていつも私たちと一緒にいてくださるために、クリスマスの出来事を起こされたのです。このことを信じる信仰によって私たちは、たとえ死の陰の谷を歩むときでも平安と希望を与えられるのです。私たちはどんなに頑張ってみたところで、死ぬときにはたった一人で死ぬほかはない。そのことを自分で引き受けるよりほかはないのです。そのような私たちにとってこのクリスマスの出来事は、なんと大きな慰めであり、喜びでありましょうか。神は、イエス・キリストにおいて私たちと共にいてくださるということをクリスマスの出来事を通して私たちに示してくださるのです。それでは、それは何によってわかるのでしょうか。三位一体なる神は、永遠の命の交わりの中に生きておられます。父・子・聖霊なる神が、それぞれに永遠の命の交わりの中に生きておられるのです。その交わりの中に私たちも招き入れられているのです。それがインマヌエル「神はわれわれと共にいてくださる」ということの意味なのです。それは、父なる神が、その愛する御子イエス・キリストをこの世にお遣わしくださり、私たちの罪の赦しのために十字架にかけられるという大きな犠牲の業に依って成し遂げられました。それほどまでに神は、私たちを愛しておられるのです。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである(ヨハネによる福音書3章16〜17節)。」

 神は、インマヌエル「神は我々と共におられる」ということが現実のものとなるために、クリスマスの出来事を起こされました。私たちがどんなに苦しく、困難な状況の中にあるときでも、神がわれわれと共にいてくださることを信じて、希望を持って歩むことができる者たちとなれるように祈り求めてまいりましょう。

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