2017.6. 18. 春の特別伝道集会
詩編139:1〜6、コリントの信徒への手紙一13:4〜13

「愛は決して滅びない」

 きょうの聖書の箇所を含む13章の全体は、「愛の賛歌」とも呼ばれ、よく知られている箇所です。「愛」という言葉には様々な意味がありますが、聖書が語る愛は非常に大切なものです。それでは、この手紙の著者であるパウロがこの箇所で言おうとしている愛とはどのような愛なのでしょうか。

 愛とは、神の愛に基づくものであります。その愛は、キリストの十字架において示された愛に基づいています。神は、私たちの誠に深い罪が赦されるため、私たちの救いのために御子を十字架にかけられました。そのことによって神は、私たちに対する愛を示されました。神の愛は、それほどまでに深い愛なのです。「愛は忍耐強い、愛は情け深い…」と4節から7節に示されました愛の根拠がここにあります。しかし、コリントの教会の人たちだけでなく、私たちにとりましても、互いに愛し合うということは、聖書のこの箇所で示された愛に生きるということは、そう簡単にできることではありません。罪深く弱い私たちが、自分たちの良心や倫理観によって自発的に自らの力で、互いに愛し合うということには限界があります。お互い愛し合うどころか、憎しみ合い、傷つけ合ったりするということが起こってしまいます。そのような私たちが、お互いに愛し合うことが出来るのは、神がまず私たちを愛してくださっているということがあるからこそ可能なことなのです。その神の愛は、愛する御子を十字架にかけてまで私たちに注がれたものにほかなりません。神の愛は、主イエス・キリストの十字架において示されました。聖書によりますと、その神の愛は、聖霊によって私たちの心に注がれているとされています。  神様に愛されていることを知らされた私たちは、自分も神様を知り、愛して生きる者となる道を与えられております。そして神様を愛するなら、神様が愛しておられる人間を、隣人を愛する者とされていくのです。それが信仰者となるということです。しかし私たちが、神様を知る知識も、神様と人を愛する愛も、まことに部分的であり、不完全なものです。この地上を生きる限り、私たちが神様を知ることは全く不完全であり、愛することも全く不完全なのです。しかしそのことは、私たちと神様との関係において何の障害にもなりません。私たちが愛するということにおいて、どれほど不完全で、不十分な者であっても、神様は、私たちのことを完全な愛をもって愛していて下さるのです。  8節にあります「愛は決して滅びない」ということは、「神の愛は決して滅びない」ということです。その神の愛に基づいて、神と私たちとの関係も決して滅びることはないのです。神が、私たちの罪を赦してくださり、私たちをを完全な愛で包んでいてくださっているゆえに、私たちの愛がどんなに不完全で欠けの多いものであっても、失敗を恐れず、愛の実践に向かうことが出来るのです。そして聖霊の力、助けによって、私たちは神を愛し、隣人を愛して生きる者へと変えられていくのです。また、聖霊によって、そのことを信じることが出来る者へとされていくのです。

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